G.M.ナイル(左)/フルネームはゴパーレン・マダワン・ナイル。1944 年、茨城県生まれ。大学卒業後、両親が開いた日本初のインド料理店「ナイルレストラン」を引き継ぐ。明るいキャラクターでタレントとしても活躍。テレビやラジオのバラエティー番組にも多数出演。大の警察好きとしても知られ、都内に警察資料館を持っている。69年続くナイルレストランの看板メニュー「ムルギーランチ」は、母のレシピを継承する味。満子ナイル(みつこ・ナイル)/1944 年、東京都生まれ。高校卒業後は大手商事会社に勤務。結婚当時はアメリカ系企業に勤めていたが、夫と共にナイルレストランを切り盛りするために退職。当時、小指を立てて「私はコレで会社を辞めました」というコピーがはやっており、送別会で親指を立てて「私はコレで会社を辞めます」と言って大ウケしたとか。現在は千葉県鋸南町のNPO法人「猫達の幸せを守る会」で保護猫活動もしている。(撮影/遠崎智宏)
G.M.ナイル(左)/フルネームはゴパーレン・マダワン・ナイル。1944 年、茨城県生まれ。大学卒業後、両親が開いた日本初のインド料理店「ナイルレストラン」を引き継ぐ。明るいキャラクターでタレントとしても活躍。テレビやラジオのバラエティー番組にも多数出演。大の警察好きとしても知られ、都内に警察資料館を持っている。69年続くナイルレストランの看板メニュー「ムルギーランチ」は、母のレシピを継承する味。
満子ナイル(みつこ・ナイル)/1944 年、東京都生まれ。高校卒業後は大手商事会社に勤務。結婚当時はアメリカ系企業に勤めていたが、夫と共にナイルレストランを切り盛りするために退職。当時、小指を立てて「私はコレで会社を辞めました」というコピーがはやっており、送別会で親指を立てて「私はコレで会社を辞めます」と言って大ウケしたとか。現在は千葉県鋸南町のNPO法人「猫達の幸せを守る会」で保護猫活動もしている。(撮影/遠崎智宏)

 日本初のインド料理店「ナイルレストラン」オーナーのナイルさんと妻の満子さん。かつて支店が池袋や恵比寿にあり、手分けして飛び回っていたという二人。20年前に大変な事件があったというが……。

「日本初のインド料理店「ナイルレストラン」経営者家族の波乱万丈人生」よりつづく

*  *  *

妻:私は高校を出た後、商事会社に勤めていたんです。そのあとも何回か転職をして、結婚後も数年は、お勤めしてました。

夫:夫婦で店をもり立てようということになって彼女は会社を退職。そこからの僕ら二人は、それはもう、一心同体だった!

妻:え? そうかなあ(笑)。

夫:え? 違うの?

妻:当時は支店が池袋や恵比寿にあってね。

夫:手分けして飛び回って。必死だったね。

妻:ホントによく働いた。

夫:夜の六本木で落ち合って、帰る前にラーメン屋で僕は日本酒をぐっと飲んで、ラーメンすすって。

妻:深夜で寝る前だから、あんまりラーメンはうれしくなかったんだけど……。

夫:でもいい思い出だろ?

妻:それはそうね。

夫:大変だったけど、楽しかった。今から20年ぐらい前に大変な事件もあった。

妻:店が火事で焼けたんですよ。

夫:午後の3時過ぎだったかな。テレビが取材で収録に来てたの。わーっとにぎやかにやってたら、ふと、変なにおいがした。

妻:よく気が付いたわね。

夫:カメラを止めてもらって外へ出てみたら、屋根からほんの一筋、細い煙が立ちのぼっていた。すぐに火があるはずのない場所だとわかって「119番!」。

妻:私は家にいてガーデニングをしていたんです。連絡を受けて駆け付けたら、まだ鎮火してなかった。この人すごい、と思ったのはね、すでに経理士と弁護士を呼び出してたの。

夫:消防を呼んだら、みんなは大げさだって言った。でも、そのおかげで誰一人ケガもせずに済んだ。

妻:それは本当に不幸中の幸いでしたね。

夫:うちが火元ではなかったものの、店はほぼ全焼。もう僕は膝が震えて力が入らない。そんなときのこの人はすごかった。

妻:おほほ。

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