落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「4年」。
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平昌五輪が閉幕して1週間以上たちますが、『平尾昌晃』という字面を見てもいまだに『平昌五輪』と空目をしてしまいます。『カナダから~』ならぬ『韓国からの良い便り』が届きまくるせいで、私も何を言うにも語尾に「そだねー」をつけまくり、かみさんがイライラしていますそだねー。さぁ、ここらでイチゴでもつまもうかねー。もぐもぐ。
2月12日。上野で私の後援会の新年会がありました。4年前のこの会の当日は記録的な大雪。晴れ着で長靴の女性会員さんが、上野の山を鬼の形相で雪中行軍する……というなかなかにカオスな状況でしたが、無事に今年は晴天。
「4年前、日本は大雪で、たしかそのときのソチ五輪は雪不足でしたねー」。お客様にそんな挨拶をしている私の左足の甲を、急な激痛が襲ったのです……。
2月17日。この日は横須賀・汐入の劇場で私、春風亭一之輔の独演会。その日は自分でもナーバスになっているのがわかりました。12日から続く謎の激痛で歩くのもままならず、開演時間が迫っても椅子に座ったままの私。楽屋のテレビでは男子フィギュアスケート・フリーの生中継が流れています。すきま風さえも響く原因不明の痛みのために、身動きひとつ取れません。そのとき、私は羽生結弦選手に自分を重ねていました……。
あ……「お前みたいな破戒僧ヅラの噺家とアタシのユヅを一緒にすんなや!(怒) このドテチンッ!!」と乙女たちのぶちギレた金切り声が、今遠くで聴こえた気がします。
いやいや……ちょっと待ってもらいたい、レディたち。基本的に『落語家=フィギュアスケーター』ですよ。大勢の観衆が注視し続けるなか、プレーヤーはたった一人でパフォーマンスをするのだから……。ほら、ほぼほぼ一緒です。
そして「羽生選手・金メダル」。その日、私が無事に高座をつとめることができたのは、リンクで舞う彼を観ていたおかげでしょう。お互い痛みに耐えて、持てる限りの力をぶつけることができたのです。『ユヅは金メダル、イチ(一之輔)は笑い』を勝ち取ったのです。平昌と汐入がつながった瞬間です。