「医者1人では何もできない」
これが、医療と介護の専門職に加え、地域の人、警察、お寺、高齢者施設などがつながり、患者をケアする「チーム永源寺」の出発点だった。
薬局やケアマネジャーらとの会議に様々な立場の人を誘ううちに、患者から「チームで支えてくれるのが心強い」と言われるようになった。軌道に乗るまで10年を費やした。
チームでは、「顔の見える関係」をめざし、患者のお薬手帳やヘルパーの介護日誌に必ず全員が目を通す。そのうえで定期的に会合を開き、情報共有につとめる。中でも大きな役割を果たすのが、民生委員を含む地域の人々。話し相手になったり、ゴミ出しや掃除をしたり。「家にいたい」という希望をかなえるため、みんなが動く。
「医療や福祉で支えられない部分をご近所の人たちが助けてくれる。在宅看取りが増えているのは、チームでケアする仕組みが定着し、人々の『自宅で暮らしていけるんだ』という安心感を生んでいるからでしょう」
最先端の医療設備や技術に、周囲のケアや気遣いが勝ることだってあるのだ。
花戸さんは1月に刊行した『最期も笑顔で 在宅看取りの医師が伝える幸せな人生のしまい方』(小社刊、税抜き1400円)の末尾で、自身が椎間板ヘルニアで苦しんだ体験に触れ、こう記している。
「病気になってつらいとき、本当の支えとなるのは、薬だけでなく、医師の言葉や家族の気遣い、痛むところをさすってくれる『手当て』だということを改めて実感しました」
花戸さんは、患者の支援態勢に加え、「本人の意思表示が大事だ」と説く。
「私は患者さんが元気なうちから『ご飯が食べられなくなったら、どうする?』と繰り返し尋ねます。どんな場所で誰と過ごしたいのか、延命治療を望むのか、自分らしい最期は自分で考えるしかない。最初は戸惑っても、対話を重ねていけば雄弁に本音を語ってもらえるようになる。本人の意思が示されれば、周囲の覚悟も決まるものです」
死がタブー視されがちな日本社会。意思を示すには、家族ら周囲への遠慮も壁になる。花戸さんは、2年前に81歳で亡くなった男性の事例を挙げる。
その男性は、胃がんの手術を受けて退院したころから、外来に通っていた。どんな最期を迎えたいのか、いくら尋ねてもはっきりと答えてくれなかった。
肝臓への転移が判明し、「残された時間は1年ほど」と告げられても、「家にいるのは無理やろ」と繰り返すばかり。
「一人暮らしだったので、周囲に迷惑をかけてしまうと思っていたのでしょう」(花戸さん)
男性はいよいよ口からご飯を食べることができなくなった。実際に入院してようやく「できるだけ家で過ごしたい」と言い出した。