1978年1月に放送が始まった伝説の歌番組「ザ・ベストテン」(TBS系、以下ベストテン)は、“嘘のないランキング”が視聴者の心をわしづかみにし、日本の音楽シーンを変えた。生放送ならではのハプニングや、垣間見える歌手の素顔、司会の黒柳徹子さんと久米宏さんの弾丸トークもまた人気の理由だった。久米宏さんに、40年を経たいまだから明かせるエピソードや思いを聞いた。
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「『ザ・ベストテン』がなかったら僕はフリーになっていません。そして、TBSの局アナだったら、99%『ニュースステーション』もありませんでした」
伝説の音楽番組ベストテンの司会を78年から約7年間務めた、久米宏さん(73)。その軽快な話術は、今もなお健在だ。
――ベストテンの前番組「トップスターショー・歌ある限り」の司会を二谷英明さんと務められていましたが、終わる頃には、もう音楽番組はやらないつもりだったそうですね。
僕は、歌番組に司会はなくてもいいものだと思っていたんです。「ミュージック・フェア」(フジテレビ系)のような、歌を中心に聴かせる番組が本道かなと。おもしろいインタビューができればいいんですけど、歌手の方って、プロダクションの縛りとかがあって、なかなか本当のことは仰らない。新しい話を聞くのは、ほとんど不可能に近かった。だから、もう音楽番組はいいかなと思っていたんです。
――ベストテンの司会のオファーが届いたのは?
77年の11月頃に、プロデューサーから「この後は生放送の歌番組をやる。黒柳さんが、久米さんと一緒にやりたいとおっしゃってるけど、どうだろうか?」と。そこで「ちょっと考えさせてください」と言って、1週間後に、YESの返事をしたんです。
――辞退という選択肢もあったということですか?
歌番組はもうやらないと決めていたところへきた話ですから。ただ、僕は基本的に生指向なので、生放送だということには、相当、魅力を感じました。あと、黒柳さんとは永六輔さんのラジオ番組が縁で親しくさせていただいていて。ずいぶん前から、いつか黒柳さんと番組をやることになるだろうなとは思っていたんです。だから、大袈裟に言えば、ついにその時が来た、という感じもありました。