幼い頃、俳優の池田成志さんが親に手を引かれ初めて観たのは、小沢昭一さんの一人芝居。映画なら、「男はつらいよ」シリーズやチャップリンの喜劇など、おかしみの感じられる作品を好む親の影響で、池田さんも、いつか映画や芝居の世界で生きていけたら、と思うようになった。
大学に進学するために福岡県から上京した。鴻上尚史さん率いる第三舞台に所属後、早稲田大学内で劇団を立ち上げ、28歳のときに、その劇団も辞め、フリーになった。
「当時は小劇場ブームで、野田秀樹さんの『夢の遊眠社』、松尾スズキさんの『大人計画』、いのうえひでのりさんの『劇団☆新感線』と、個性ある劇団がたくさんあるなか、フリーの舞台俳優なんて僕だけ(笑)。いろんな劇団に顔を出しているうちに、30歳でやっと俳優として食っていけるかもしれない、と思えるようになった程度で。ろくな人生じゃないです。親には申し訳ない気持ちでいっぱいです(苦笑)」
2017年の日本演劇界のトピックの一つに、池田さんが、「死の舞踏」という舞台で16年に急逝した平幹二朗さんの代役を務めたことが挙げられる。スウェーデンの劇作家・ストリンドベリの会話劇で、池田さんは、偏屈な退役間近の大尉役をユーモアたっぷりに演じた。
「緊張しましたよ。初日なんか特に、お客さんがウンともスンとも言わなくて、ただ、足音が虚しく響くだけ(苦笑)。稽古のときは、離婚しない夫婦の丁々発止の会話が、夫婦善哉みたいだな、なんて思ってたのに」