
大角ユリ子(おおすみ・ゆりこ)(左)/1947年、福島県生まれ。地元の高校を卒業後、神奈川県小田原市の会社に勤務。約3年の文通交際を経て、72年に結婚。73年に長女、74年に長男が誕生。趣味は朝夕、家の近くを速歩すること。(撮影/植田真紗美)
文通をきっかけに出会い、結婚した落語家の夫・三遊亭円丈さんと妻・大角ユリ子さん。45年以上連れ添った二人は、会話は少なくてもあうんの呼吸で成り立つ夫婦だ。しかし、そうなるまでには危機もあったそうで……。
※出会いは文通 “変わった顔”の落語家が考えた“ラッキョウ作戦”よりつづく
* * *
夫:落語家だと打ち明けたのは、結婚する少し前です。
妻:大学生だとばかり。「売れてないけど、落語家なんだ」と言われたときは、ついていけないと思いました。
夫:ある朝、師匠のところに行ったら「おまえは稽古が足りない」と口うるさく言われたんです。「わかりました。今日限りをもって廃業させていただきます」。そう言って飛び出たんです。僕が家に着くなりオヤジは「やめるなら(家業の)写真屋になれ」と言う。カミサンに電話したんです。そうしたら、「写真館を継いでくれたほうがいい」と(笑)。安定した仕事のほうがいいと思ったんでしょうね。
妻:(じっと夫を見て)だったかしらねぇ。
夫:僕はオヤジに継げと言われて「それはご免だ」ととんぼ返りした。師匠も面食らったんでしょうね。すぐに実家の名古屋に電話して「わたしはなんとも思ってないから。戻る気があるなら戻してくれ」と。自分で言うのもなんですが、師匠は僕のことがかわいかった。自分にはないものを持っているというのがあったんでしょうね。一門の独演会でも、芸が円生と一番似ていない。ボンヤリとしてバカなことを言っているもんだから、一番ウケるんです。
――「敷居は跨(また)がせない」という妻の父親。結婚の挨拶へ向かう夫は覚悟を決していたが意外な展開に……。
夫:結婚の了解をもらうためにカミサンの両親に会いに行きますよね。事前に「うちの敷居は、そんなやつには跨がせない」と言っていたと聞かされてたものですから、これは大変なことになるなと覚悟しました。そうしたら「ああ、よく来た、よく来た」って、山形でしょう。言葉がよくわからないうちに親戚が集まってきて大宴会になった。
妻:ふふふ。