ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「工藤静香」を取り上げる。
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今から30年前、1987年。バブル景気とは裏腹に、日本のレコード売り上げは不調でした。ちょうどアナログからCDへのソフト移行の真っ只中でもあり、華々しい歌番組に若干の陰りが見え始めたのもこの頃です。
80年代のアイドル界で、『80年組(田原俊彦・松田聖子・岩崎良美・河合奈保子・柏原よしえ)』『82年組(シブがき隊・小泉今日子・中森明菜・早見優・堀ちえみ)』『85年組(中山美穂・本田美奈子・南野陽子・浅香唯・斉藤由貴・おニャン子クラブ・少年隊)』が3大豊作年として有名ですが、実は87年組も光GENJI・酒井法子・坂本冬美・BaBe・畠田理恵・森高千里といった、今なお各方面で活躍し、名を馳せるツワモノ達で溢れているのです。ちなみにBaBeは、その座をWinkに持っていかれるまで2年間は「ピンク・レディー以来の成功女性デュオ」と言われ、バブル絶頂期を語る上では欠かせない記憶のひとつです。そして畠田理恵さんは現在、将棋の羽生善治氏の妻。
国鉄が民営化しJRになり、北朝鮮の工作員『蜂谷真由美』こと金賢姫元死刑囚や日本人の拉致がクローズアップされた1987年。女王・中森明菜は前年に2年連続のレコード大賞を獲り、いよいよアイドルとしては未開の境地(ステージ)に。松田聖子はミセス&ママになってシーンにカムバック。チェッカーズは本格的に自作曲を歌い出し、光GENJIという得体の知れないローラースケート集団がアイドル界を席巻しました。そんな中、絶対に忘れてはならないのが、おニャン子クラブ解散とほぼ同時にソロデビューした工藤静香の存在です。言うならば1987年は、工藤静香なる『刺激物』が世間に放たれた歴史的な年だと言えるでしょう。
ドライでナチュラルな生き方がバブル以降の日本人の理想・目標とされてきた一方で、日本人が永遠に捨てることのできない『ウェットでケバい気質』。工藤静香はその象徴として、日本人の無理した精神バランスを30年間取り続けてきたのです。外資系IT企業で働き、週1でヨガに通い、「夕食はバーニャカウダー!」なんて30代・40代OLが夜な夜なカラオケで工藤静香を絶唱する光景を、私は何万回と見てきました。工藤静香はもはやお洒落に生きていると思い込んでいる日本人の心の故郷なのかもしれません。
きわめてウェットでヒステリックと思いきや、本能的に出てくるふにゃ~っとした歌声。虚弱そうで、だけど決めた道は最後まで極める。狙った獲物は必ず仕留める。そんなヤンキー感満載な工藤静香を生理的に受けつけない人たちは今も昔もいます。しかしこれこそが、西洋人かぶれには生きられても西洋人には死んでもなれない日本人が大切に誇るべき気質だと思うのです。
見てください。今の日本で『ドライでナチュラルに颯爽と生きている女』の代表は、今井美樹でもRIKACOでもなく工藤静香に他なりません。みんなも勇気を出して。嫌いになれないは好きってことよ。
※週刊朝日 2017年9月22日号