岸:きれいごとにしたらダメと覚悟を決めました。同年代の友人で、自由に生きている日本女性たちがブダペストやアメリカの砂漠や、パリやブリュッセルにもいるんです。彼女たちの話や自分の経験を織り込みながら、4年間夢中で、とことん書きました。海外の作家も含めて、あそこまで書いた人はいないと、みっともないけど自画自賛してます(笑)。

林:ヒロインのお相手のモデルは誰なのか、諸説紛々あって、某企業の重役ではという説も耳にしました。

岸:まあ、世間もマスコミもだいたいそんなものでしょう。それより物語をちゃんと読んで、と言いたい。あそこまで真摯に、大胆に年をとった男女の関係を書いた人は私しかいないんだから、と威張りたい(笑)。

林:ではモデルはいないんですか?

岸:いるんです。

林:えっ?

岸:小説の冒頭に書いた、パリ行きの飛行機のファーストクラスでの場面はノンフィクションです。以前別の対談で話したこともあるので気が引けますが、これが最後と決めてお話しするわね(笑)。航空会社には普段わがままを聞いていただいて隣を空けてもらっていますが、その日は超満員でしかも私は通路側だったんです。いやーな気分でいたら、隣の席の人が来ない。ラッキーと喜んで空席に鞄や本を放り出して新聞を広げていたら、離陸間際に、「失礼します」と隣人が現れてしまったんです。慌てて私物を引き揚げて、「こちらこそお席を占領して失礼しました」と言ったら、その方ぽーんと席に鞄を置いただけで消えてしまった。次に現れたときには機内用パジャマに着替えていました。

林:まあ、行動がスマートですね。

岸:旅慣れた人だなと思いました。当時のファーストクラスは今のようにカプセルではなくて、席が二つ続いていました。顔が見えないように間仕切りがあったけれど、入国手続きを書くとき、横着をしてテーブルを出さずにひじ掛けで書いていたら、終始無言だった隣人に「失礼ですが、岸惠子さんですか。パリへお帰りですか」と声をかけられて。「パリへは帰りません。私、パリにも日本へも帰るという感覚がないんです」と答えましたが、それだけでは素っ気ないかなと思って、私にしてはめずらしく、「パリにいらっしゃるんですね」と会話を紡いでしまったの。そうしたら、「プラハに行きます」とおっしゃって。私、プラハにはたくさんの思い出があるんです。

林:そうなんですか。

岸:私が「1968年の『プラハの春』の最中、プラハにいました」と言ったら驚かれて、「僕は大学生でしたが、忘れられない世界史の一ページで、ドプチェクに拍手を送りました」と話が広がったの。私こそびっくりしました。会社のお偉いさんに違いないその人が、「人間の顔をした社会主義」に興味を持つなんてあり得るかしら、としみじみと見直しました。ビジネスマンなんてだいたいが右寄りに決まっていると思い込んでいたので。そのあとの話も素晴らしくて、決めた! この人を主人公に物語を書こうと思ったんです。でも、物語は全くの創作です。

週刊朝日  2017年8月18-25号より抜粋

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