澄懐堂を訪問した首相退任後の岸信介氏(左)
澄懐堂を訪問した首相退任後の岸信介氏(左)
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 一枚の古びたモノクロ写真がある。中国の美術品をのぞき込んでいるのは、岸信介元首相。いまや「一強」と言われて強権を振るう安倍晋三首相が敬愛する祖父だ。写真は1969年3月、三重県四日市市にある澄懐堂美術館の収蔵庫(澄懐堂文庫、63年建設)で撮られた。

 そんな大物政治家も通った美術館が今、「お家騒動」に直面している。

「現執行部は誠実さがありません。再建の努力をせず、美術館や収蔵品を切り売りしようとしている」

 こう言って怒り心頭なのは、美術館の元理事長・猪俊吉氏(69)。美術館を建てた猪熊信行氏(1906〜91)のおいで、信行氏に子がいなかったため、澄懐堂の宗家にあたる。俊吉氏によると、美術館は財政難に陥っており、現執行部の運営方針に問題があるという。

 澄懐堂は中国・宋代から清代にかけての書画2千点余りなどを収蔵。岸氏のほか、首相になる前の田中角栄氏も足を運んだ。

 ルーツは、犬養毅内閣などで農相を務めた山本悌二郎氏(1870〜1937)。そのコレクションを側近の信行氏が受け継ぎ、故郷の四日市市に倉庫と美術館を建てた。政財界に広い人脈を持っていた信行氏は、角栄氏ら大物政治家を澄懐堂に招いて「格」を上げた。

 転機は信行氏側近で影響力のあった森口隆元館長が死去した2年前だ。内情を知る関係者はこう明かす。

「森口氏は10年ほど前から、病気のため一線を退いていました。一方、美術館は展示会を開いても閑古鳥状態で、現執行部は財政健全化できずにいました。森口氏は晩年、猪熊家への『大政奉還』を考えていたんです」

 俊吉氏は当時、理事長職を退き、理事に就いていた。だが、森口氏の死去直後の理事会などを経て無役に。

「理事会では役員候補に私の名前があったのに、差し替わったんです」(俊吉氏)

 「宗家外し」の力が働き、新理事は、三重県の競艇業界幹部だった品川清理事長に近く、美術業界と関係の薄い人たちで固められた。

 本誌編集部が入手した澄懐堂の決算報告書などによると、2016年度の収支は約1500万円の赤字。流動資産の残額は約2800万円で、「資金ショートは時間の問題」(経理に詳しい弁護士)という。前述の関係者によると、現執行部は当座をしのぐため、美術館の建物を地元ゼネコンに5千万円で売却する契約を締結。「切り売り」はすでに始まっている。

 「信行は生前、『世界に誇れるコレクションだから、絶対に守れ』と繰り返していました。このままでは、首相経験者が見に来た美術品の数々が散逸してしまいます」と嘆く俊吉氏は、現執行部の行動は信行氏が収蔵品を託した趣旨に反するとして、民事調停の申し立ても視野に入れる。本誌編集部は品川理事長に質問状を送ったが、期日までに回答はなかった。

 歴代首相らも草葉の陰で泣いていることだろう。

週刊朝日  2017年6月2日号