――夫の父は、足軽の武士の血を引く作家の新田次郎。母は餓死寸前の3人の幼子を連れて旧満州から引き揚げてきた作家の藤原てい。武士道精神が誇りの父と、気性の激しさは誰にも負けない母だったが、妻はとてもかわいがられた。
夫:結納のため美子の鎌倉の実家へ行った時、500坪ある敷地の半分ほどの畑を見た父が、いきなりそこを掘りだしたんだよね。高校時代に出会った考古学者の藤森栄一の影響で化石掘りが得意だったのと、新田義貞の本を書いてあの辺りをよく取材していたから、結納より発掘に夢中になっちゃって。
妻:私は母が亡くなったばかりの頃だったので、残してくれたレシピを見ながらフルコースのお料理を自分で作ったんです。今考えると23歳の若さで偉かったなと思いますね。ただ、メインが若鶏のワイン蒸しで、お義母様は鶏肉が苦手だと結婚した後で知って。半分だけ残していたので必死で召し上がったんだなと、冷や汗が出ました。
夫:母が感心していたのは、草むしりを嫌がらなかったところ。妹も兄嫁も、女性で草むしりなんてする人はいなかったのに、炎天下でも平気で草むしりしている姿を見て褒めていたよ。
妻:そうだったの? 「美子さん、働きすぎですよ」とよく言われましたけど。義母は新聞の読者の悩みに答える「人生相談」のコーナーでは手厳しいアドバイスをしていましたが、私にはやさしかったですね。
夫:やさしいといっても、母は相手に「そうね、そうね」と同調するんじゃなく、叱咤激励するタイプ。
妻:そうそう。とても気丈な方でした。
※週刊朝日 2017年5月5-12日号より抜粋
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