パロディーを中心にした新しいタイプのギャグを世に送り出した漫画家のしりあがり寿。そして、妻は多摩美術大学時代に出会った漫画家の西家ヒバリ。2人ともギャグ漫画家という異色な夫婦に起きた3.11以後の変化とは?
※「しりあがり寿は日常もギャグ漫画? 『背もたれバターン』『雪駄→藁』…」よりつづく
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――夫は94年、36歳のときに会社(キリンビール)を辞め、漫画家一本でやっていく決意をする。
夫:管理職になる年代になってきていたし、サラリーマンとして出世する気はなかった。上に立って人を叱ることもできないし。あのとき西家さん、まったく反対しなかったよね?
妻:うん。人生一度っきりだし。好きなことやっていいんじゃない?って。
夫:吉田戦車さんとか次の世代が出てきたころで、このままだと漫画の仕事がなくなっちゃう気もしたし。
妻:私は会社を辞めたときよりも、家を買ったときが冒険だったと思う。しりさんはゲームの三国志にハマってて領土をふやす感覚で、「よし! 買っちゃおうぜ!」って。さすがに「大丈夫かな」と。
夫:でも、建築士さんに「将来仕事がなくなって、家を人に売らなきゃならなくなったときのために、半分で切って売りやすいように造ってください」って頼んだ(笑)。
妻:そこは気弱なんだよね。
――幸い、夫の仕事は順調だった。東海道中膝栗毛を大胆にアレンジした『真夜中の弥次さん喜多さん』、OLの仕事ぶりを愉快に描いた『O.SHI.GO.TO.』、シュールな『ヒゲのOL藪内笹子』『流星課長』などで人気漫画家となる。
妻:サラリーマン経験があってこその漫画も多いよね。
夫:当時のサラリーマン漫画ってパターンが決まってたんです。嫌みな上司とダメな平社員。スポ根ものを営業に置き換えたり。でもサラリーマンの世界って、もっと多様でおもしろい。実際にその中にいて、学校の延長みたいな気がしていたので、見たままを描いただけなんですけどね。