ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「清水富美加」を取り上げる。
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先週の桜田淳子熱を引きずったまま、清水富美加が染み入る今週です。仮にこれが『神のおぼしめし』による出家なのだとすれば、ある程度『思い立ったが吉日』的な暴挙に出ないことには、本人的にも『出家する実感』に欠けるのでしょう。人の確信や決心というのは、それくらい曖昧であり、掴みどころのないものです。特に自分を奮い立たせる時には、自己演出が必要となります。突然アパートを引き払って、置き手紙だけ残すとか。誰も追いかけてこないのに、始発電車で街を後にするとか。
今回の騒動で、当の清水さんは「(たぶん洗脳と思われるでしょうから先に言っときますけど)洗脳じゃないよー」的なことを仰っていたのが印象的でした。宗教だけに限らず、数多の洗脳騒動を経て、「洗脳されたらおしまい」ではなく、「洗脳されてると思われたらおしまい」という価値観が、いかに浸透しているかが分かります。しかし、大なり小なり人は洗脳されて生きていると思いませんか? 例えば『親の躾』や『学校の教え』、『部活のしきたり』『業界の鉄則』など。洗脳とは『全幅の信頼』と『無知』が背中合わせになったもので、だからこそ、己の『無知』を自覚した時に反抗や不信感が芽生える。恋愛がまさにそうです。人間は『現在(いま)に溺れたい』と『未知に目覚めたい』を同時に抱く強欲な生き物。
そう考えると芸能界というのも、独特の価値観の上に成り立ち、皆それを信じながら日々仕事をしています。正解とされるものに従い、要領良く且つ魅力的な自分を見せられた人が勝ち抜く世界です。この偏屈な私ですら、魂を誰かに操られているかのように、意図しない言動に邁進している時があります。それでも、拠り所となるルールやルーティンを求め、さらにそこに何かしらの意味や理由や価値をこじつけないと、人なんてあっという間に廃れてしまう。育児も健康も筋トレも女装も、妄信するという点では、宗教とさして変わりはないのかもしれません。
ただ、どんなに若かろうとお金が絡んだ『お務め』は、片を付けないといけません。「契約満了とともに粛々と」ではダメなんだという気持ちも分かりますが、もし彼女の才能を評価し出家を促した、もしくは急がせたのであれば、教団側がきちんと尻拭いをすべきです。水商売の世界でも、お客が店の子とデキて、足を洗わせることを『身請け』と言いますが、その際に客側は、身代金としてそれなりの賠償を店側に通すというのが儀礼とされています。所属事務所に対してどんな不服や不満があろうと、そこさえきっちりすれば、『出家』に対するイメージも変わるはず。「救ってあげた」の一点張りでは、新興宗教に未来はないと思う次第です。
※週刊朝日 2017年3月3日号

