●「ジャズ・フェスティバル」が「季語」だった時代
夏、到来です。
ふた昔前までのジャズ・ファンにとって、「夏」は「ジャズ・フェスティバル」と同義語でした。日本ではめったに見ることができないあのひとこのひとが来日し、雑誌は煽り記事で大騒ぎ、出演ミュージシャン関連のアルバムが来日記念盤としてドカドカ発売されるだけではなく、テレビやラジオでそのフェスティバルの模様が何時間にもわたって中継されました。
しかしそれも今では夢物語、まるで幻の国の話になってしまったかのようです。あの熱い夏の昼下がり、野外ジャズ・フェスティバル会場を埋め尽くした人、人、人…彼らはどこにいってしまったのでしょう。今もジャズを聴いていますか?
私がジャズにハマリはじめた80年代初頭、日本には3つの大型フェスティバルがありまた。「オーレックス・ジャズ・フェスティバル」、「ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾」、「ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」です。
●NHKが流したモザイク入りのライヴ中継
このうち最も大規模だったのが80年に始まった「オーレックス・ジャズ・フェスティバル」(オーレックスは、当時の東芝が売り出していたオーディオ製品のブランド名)です。なにしろ会場が日本武道館や横浜スタジアムだったのですから、当時のジャズ人気(ジャズ・コンサートにかけつけるひとの多さ)には改めて驚かされます。
今、この大キャパシティを埋め尽くせるジャズ・アーティストやジャズ・イベントは皆無でしょう。出演者は大きくスイング系、モダン系、フュージョン系にわけられていて、長老や大御所クラスから当時の若手まで、さまざまなスター・プレイヤーの演奏を楽しむことができました。
第1回目にはベニー・グッドマン、ベニー・カーター、テディ・ウィルソン、ディジー・ガレスピー、ブレッカー・ブラザーズ、ジョー・ヘンダーソンなどが顔を連ねています。
巨大なPA(場内拡声装置)をほどこした武道館やスタジアムで、豆粒大のグッドマンやウィルソンを見ることが果たして“音楽を聴いた”ことになるのかどうか、今でこそ疑問のひとつやふたつもわきあがってきそうなものですが、とにもかくにも、目玉アーティストであるグッドマンの出演は昭和50年代半ばの日本に何度目かのスイング・ブームをもたらし、NHKテレビのライヴ中継(なんと、“オーレックス”のロゴにモザイクがかかっていました)は高視聴率を獲得、この手のプログラムとしては異例なことに再放送もありました。
オーレックス・ジャズ・フェスティバルは83年まで計4回行なわれましたが、そのうち2公演(※)を除く全アーティストのライヴが当時の東芝EMIから発売されています。レコード、オーディオ、テレビ、ラジオの全部を駆使してファンの耳目を楽しませたジャズ・フェスティバルは、これが最初で最後でしょうね…。
※ジャコ・パストリアスの公演(82年)は当時ジャコが所属していたワーナーからレコード化。グローヴァー・ワシントンJr.の公演(83年)は現在もなお未発表
●グッドマンがほんの一瞬だけ見せた“脂汗”
私もグッドマンのテレビ中継を見ていたひとりです。放送はたしか80年の晩秋、ジョン・レノン他界の報せが入る数週間前だったと記憶しております。私はもともとR&B、ファンクからジャズに流れてきたので、白人の演奏するジャズには「おくて」でした。しかもグッドマンの演奏する音楽は、私が熱心に聴いていた「モダン」ジャズとは違うものでした。
が、面白かったのです。知っている曲が次々と出てくるのです。分厚いメガネをかけて、苦虫を噛み潰したような顔でクラリネットを吹き続けるグッドマンの姿には親しみが持てませんでしたが、演奏の短さ、旋律の覚えやすさは、当時お気に入りだった(今も大好きな)エリック・ドルフィーやアーサー・ブライスとは異質の爽快感があり、それはそれで心地よいものでした。
その後、私はグッドマンを真剣に聴いてみようと思いたちます。が、いろんなジャズを知り、親しむごとに、彼の演奏に対する「ピンと来なさ」が拡大していった、というのが正直なところです。耳あたりがいいし、アンサンブルも整っている。だけど私の耳に強く響くのは彼のクラリネットではなく、たとえばジーン・クルーパのドラムスであり、ライオネル・ハンプトンのうなり声まじりのヴィブラフォンなのです。
けっきょく、いま、私の手元にあるグッドマンのアルバムは、彼が現代音楽をやったものと、まだ売れる前に他人のバンドで下働きしていた頃の演奏を集めた作品と、柄にもなくビ・バップに取り組んだものだけ。いわゆるスイング黄金時代のヒット・パレードは、1枚もありません。
いちばんよく聴くのは、ビ・バップをやろうとしている1940年代後半の録音でしょうか。キング・オブ・スイングと呼ばれた男が、なんとか必死に次のステップに踏み出そうとしている、その姿がいいのです。
バックの音作りはバップ風ですが、グッドマン本人のプレイはちっともモダンではありません。だけど、このぶかっこうさ、人間臭さに私は惹かれてしまいます。余裕綽々、スマートにスイング・ナンバーをプレイするグッドマンがほんの一瞬だけ見せた“脂汗”。50年代から再びスイング路線に戻るグッドマンの、愛すべき冒険と失敗が、『Benny's Bop 1948-49』には刻まれているのです。