東京の足立区で家具や台所用品などを製造、販売している「シービージャパン」。グループをふくめた陣容はおよそ200人、年商およそ200億円。会長の青木宏(69)が、52歳のときにつくりました。50歳を超え始めたシニア企業には何が必要なのか。その秘訣を朝日新聞編集委員の中島隆(53)が探りました。
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青木には、こんな思いが、ずっとありました。
「とにかく、独立したい」
思いを遂げた起業。なぜ独立なのか。会社員生活で身にしみたことがあったからです。それは……。
社員がいくらがんばっても、けっきょく、得をするのはヤツらだ!と。
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青木の家は、もともと東京・日本橋の洋傘屋。裕福でしたが、敗戦とその後の事業失敗で、資産をほぼ失いました。
青木が生まれたのは敗戦2年後。貧乏の記憶しかないけれど、当時はみな貧しく、苦でありませんでした。
中央大経済学部へ入ったものの、学生運動で大学はロックアウト。麻雀ばかりの日々がばからしくなって中退。父が雇われ役員をしていた会社に入りました。
そこで青木はたまたま目にしました。父がオーナーから、こう言われる場面を。
「きみ、そろそろ役員の座を後進に譲ってくれ」
雇われの身は、進退を自分で決められない。オーナーが、ぜんぶ決めるのか。
青木は3年で、足立区の家庭用品の卸売会社に転職します。会社は東北地方の総合スーパーがお得意様。青木も「東北に行け」と言われましたが、拒否して宣言します。「首都圏のお客さんを開拓する」と。
がむしゃらに営業し、数年後に売り上げの8割が首都圏に。30代で営業本部長にばってきされました。
そのころの青木は「かみそり」という異名がありました。切れっ切れの敏腕営業マン、でも言動はイヤな奴。仕事ができないとバカ呼ばわりし、「相手にしねえ」と。
ある日の朝、青木が出社すると、机がひっくり返されていました。部下たちは青木の解任要求書まで出していたのです。これで、せいせいする。やめてやる。
ところが、オーナー社長が部下たちに言いました。