カウント・ベイシー『イージン・イット』
カウント・ベイシー『イージン・イット』

●創始者が死してなお、オーケストラは続く

 この夏にカウント・ベイシー・オーケストラが、先日はデューク・エリントン・オーケストラが来日しました。私は両方のライヴに行き、数々の名曲を大いに楽しみました。そして想像をふくらまさずにはいられませんでした。「ぼくはベイシーが生きていた頃のバンドも、エリントンが生きていた頃のバンドもナマで聴いたことがない。彼らが健在だった頃は、いったい、どんなに信じられないサウンドを出していたのだろうか?」と。

 ベイシーが逝って28年。エリントンが亡くなったのは1974年ですから、もう少しで40年が経ちます。彼らのナマを体験したひとがもう増えることはありませんし、どんどん少なくなっていくばかりです。熱心に往年のレコードやCDを聴いているリスナーならまだしも、ライヴ通いを中心にしているファンにとっては、エリントン楽団もベイシー楽団も「創始者がいなくて当たり前」、という状況がいまや普通なのです。

●創意工夫を加えてはいけないのか?

 私がベイシー・オーケストラを初めて見たのは確か1990年のことでした。指揮者はフランク・フォスターでした。彼はいうまでもなく『ベイシー・イン・ロンドン』や『イージン・イット』で大活躍したベイシー楽団のOBですが、「昔ながらのサウンドの継承」は、あまり考えていなかったように感じられました。ガンガン彼自身の新曲を入れて、古くからのベイシー・ナンバーにも新たなアレンジを加えていたような気がします。細かいことは忘れてしまいましたが、クリーヴランド・イートン(元ラムゼイ・ルイス・トリオ)が、胴体のないエレクトリック・アップライト・ベースを弾いていたことは覚えています。私の父親ぐらいの年代のひとが終演後、「あれじゃベイシー・オーケストラじゃなくてフランク・フォスター・オーケストラだよ」と漏らしていたことも・・・。

●ゴースト・バンドを拒否したスタン・ケントン

 リーダー亡き後、その名前を使って続ける楽団を“ゴースト・バンド”といいます。嚆矢はグレン・ミラー楽団でしょうか。確か一時期、ギル・エヴァンス・オーケストラも息子が継いでいました(今はどうなってるのか知りません)。ただこの現象、コンボ(小編成のバンド)には適応されていないようです。モダン・ジャズ・カルテットも、ジャズ・メッセンジャーズも、メンバーやリーダーの亡き後、消滅してしまったといっていいでしょう。クレイジーキャッツやドリフターズを継ぐことも、誰にもできないはずです。

 生きている者が名前を継承していくか、それともスタン・ケントンのように遺言に「ケントン・オーケストラは私一代で終わり。誰にも継がせない」としたためるか。20世紀の現象=ジャズの立役者は、これからもどんどんこの世を去っていきます。気づけば世の中、ゴースト・バンドだらけになっていたりして。

 いろいろ考えさせられる今日この頃です。