22歳だった04年、ウィーン国立大学での5日間の短期留学ツアーに参加。ところが、現地で過呼吸発作を起こしてしまう。入院先での診断は「広汎性発達障害」(現在の用語では「自閉症スペクトラム障害」)。帰国後、改めてその障害が確定された。医師から「発達障害は生まれながらの脳の機能障害です」と告げられ、両親は途方に暮れた。

「私のどこがいけなくて、障害のある子どもを産んだのか」。恭子さんは自分を責め続け、娘の見舞いにも行けなくなった。

 広汎性発達障害は、社会性やコミュニケーション能力などの発達遅滞を特徴とする発達障害の総称。人の気持ちを理解するのが難しく、他者との意思疎通がうまくできない▽言葉が覚えられない▽興味の幅が狭く特定のものにこだわる──といった特性がある。

 あすかさんは、幼い頃から人の顔を見るのが苦手だった。顔を見てもその人が誰だかわからず、表情を読むこともしぐさを感じることもできない。小学校の通信簿には「誰にでも、わけへだてなく声をかけています」と書かれたが、それは「誰が目の前にいるのかもわからなかったから」。

「発達障害」は、彼女が幼少期だった90年代はあまり知られていなかった。両親も、娘が人の目を見て話さないのは視力がよくないせいだと思っていた。一つのことに集中するのも長所と理解した。障害があるとは夢にも思わなかった。

 あすかさんの場合、広汎性発達障害が放置されていたため、解離性障害を引き起こしたとみられている。05年春には、解離性障害の影響で、2階の窓から飛び降りて右足を粉砕骨折した。今も不自由なままだ。

 ただ、あすかさんは診断を前向きにとらえた。医師の「あなたの努力が足りないのではなく、そういう障害が生まれつきあったからだ」との言葉に納得できた。発達障害の人は自分の興味があることは、普通の人よりもっと上手にやっていくことができる。そう知って、ますますピアノに一心に打ち込んだ。

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