小榑:例えば、商品テストの記事で、きれいな服を着た女性がベビーカーを押して、それを土手の上から写している写真が使われました。これに対し、「あんなきれいな服を着てテストをやるはずがない、インチキだ」と言う人もいるわけですよ。花森さんに言うと、高笑いですよ。たくさん手に取って読んでもらいたいのに、作業服を着たおじさんらを登場させ、誌面をわざわざ汚らしくする必要があるのかと。大事なことは、インパクトのある表現で、自分たちの思いを伝えること。「一生懸命書きました」と言っても、伝わらなければ意味がないという考え方でした。

――そんな花森が生きていて、今のメディアやジャーナリズムの現状を見たら、悲しい思いをするだろう、と小榑さんは指摘する。花森はジャーナリズムに関して「権力の番人」という確固たる信念があったのだ。

小榑:当時、「暮しの手帖」には中立というものがなかった。庶民の立場に立って、こうなってはいけないと思うから発言する。「ジャーナリストは命がけなんだ」「牢獄に入ってもよい覚悟があるか」と花森さんによく言われました。今のメディアは「~ではなかろうか」とか、「○○先生はこういう」とか、談話でしか言わないわけでしょ。こうした中立的な報道は、事実を報道しないことに等しい。例えば、今の時代、われわれは本気でもう一度、戦争する覚悟があるのか、兵隊になってもいいのか。そこまで突き詰めていかないといけないのですが、そこがいい加減だからいけない。誰のために、何がしたいのか、徹底的に突き詰めて考える。今のジャーナリズムにはその気骨がない。もっと頑張ってもらいたい。(構成 本誌・吉﨑洋夫)

週刊朝日 2016年9月23日号より抜粋

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