陽介の父親は丹後ちりめんの卸販売会社の社長で息子の芸能界入りに難色を示していた。福田氏はその説得のため、新幹線と京都丹後鉄道を乗り継ぎ、会いに行った。
「家に着いたのは昼前。陽介がまだ学校にいる時間帯で、親御さんに事務所のことなどを説明しようとしたんですが、会ったとたん、これですぐお帰りくださいと正午発の切符を渡されました」
父親は福田氏に切々と話したそうだ。陽介は三男だが家業を継がせたい。だから奪わないでほしい──。
「そう言われたら、本人の希望でも無理にとは言えません。諦めて帰ろうとしたら、学校から陽介が息を切らして帰ってきたんですよ。『お父さんが勝手に断るんじゃないかと胸騒ぎがして走って戻ってきた』と。あまりに必死な様子の彼を見て、お父さんはこれも運命か、と仰った。一転してOKを出されたんです。あのタイミングで陽介が戻ってこなければ、芸能界入りは途絶えていたでしょう」
続く80年代は実力派が続々と登場する“アイドル黄金期”だった。