筆者は、やはり通説通り、脳卒中、但し軽度の一過性脳虚血発作(TIA)を起こしたのではないかと考える。TIAは「24時間以内に完全回復する神経脱落症状」と定義され、翌日以降無症状であることに矛盾しない。TIAを発症した患者では、脳卒中を含む別のイベントを発症するリスクが非常に高い。おそらく、大事をとった静養中に、再びより重篤な脳梗塞を発症したのではなかろうか。そして『猪隈関白記』にある正治元年正月18日、「頼朝卿、飲水によりて重病」については、頼朝が誤嚥性肺炎をきたしたのではないかと考える。
いずれにせよ、それまでの『吾妻鏡』には頼朝の健康に関する記載がほとんどないのが、死去約4年前に歯の病に苦しんだという記載がある。建久5年(1194年)8月22日夜半、頼朝が御歯労に苦しんで眼が醒めたという記述があり、同年9月26日には「歯の御労の事、療法を京都の医師に尋ねられん」。加えて10月17日、「歯の御療治の事、頼基朝臣之を注し申す。其上良薬等を献ず」。
歯周病は単に局所の炎症であるのみならず、心内膜炎、アテローム硬化、脳梗塞、虚血性心疾患、糖尿病などのリスク因子となる。さらに歯周病患者では、口腔内の嫌気性菌自体が誤嚥性肺炎のリスクとなる。頼朝の場合、落馬は一過性の脳虚血発作であり、一旦は回復したものの、その後も致死的でない発作を繰り返し、水を飲んで誤嚥し、肺炎から敗血症をきたして死亡したのではないか。
幕府設立に至る権力闘争は凄まじいものがあり、実弟2人を含め、多くの一族や部下を粛清している。晩年には岳父・北条時政、妻・政子とも緊張関係にあり、曽我兄弟の仇討ち事件など何度も暗殺未遂にあった。絶え間ないストレスは歯周病を悪化させ、歯周病が孤独な権力者の全身を蝕んでいったのだろう。
※週刊朝日 2016年6月17日号