ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌新連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、俳優の菅田将暉さんを取り上げる。
* * *
アイドルの有り様は時代やジャンルによって違いがありますが、大事なのは、どれぐらい世の中に許されているかということです。“そこまで許されていない”のに好き勝手をすると、とんだ勘違い野郎として嘲笑の的となってしまいます。
そんなわけで今週は菅田将暉クンです。今、日本で最も“許されている”俳優です。まず名前ですが、“すだ まさき”と読みます。すでにこの段階で特例感満載と思いきや、本名は「菅生大将(すごうたいしょう)」だそうです。もはや神に許されているレベルです。
とにかく“今どきの若者”をやらせたら、(2016年5月現在)彼の右に出る役者はいないでしょう。「チャラい」「冷めてる」「自由」「金ない」「純朴」「熱い」「繊細」「お坊ちゃま」「肌きれい」「顔小さい」といったあらゆる若者市場を一手に背負っている感があります。
特に私のような非若者層は、菅田クンの姿を見ることで、今日日(きょうび)の若者の“正解”を知ったような気になれる。この根拠のない説得力こそ、まさにアイドルです。
もちろん役者としての力量が高いからなのでしょうが、なぜに世間はこんなにも菅田将暉を許すのか。こんな私ですら、何の異論も挟む余地を見つけられずにいましたが、ひとつだけ気付いたことがあります。
彼にはいわゆる「切り札」がない。
客商売は、何かしらの強みや売りを押し付けがましく強調することで成り立っています。特に若い役者なんかだと、顔だスタイルだエロスだといったような武器を大々的に掲げることで、より明確な客層に照準を合わせる商法が主流です。しかし菅田クンに関しては、何を売りにして、どこをターゲットとしているかが、なんだかとっても曖昧。そしてその曖昧さこそが、これほどまで無差別的な大衆性につながる“強み”となっている気がするのです。