せめてホームを降りて、構内で待っていてくれればいいが、こういう場合、司馬夫妻は約束の場所からテコでも動かない。基本的にマジメだし、頑固でもある。きっと私の悪口をブツブツいいながら、ホームに立ち尽くしているに違いない。
遅れること約30分、ようやくホームにたどり着くと、司馬夫妻は暗い表情で銅像のように立っていた。
冷え切っていただろうに、息せき切った私を見ると、2人とも急に笑顔になり、
「あけましておめでとう」
……。おめでたくない私は正月早々、汗びっしょり。担当者になって6年目、「三浦半島記」はこうして始まった。
そんなスタートにもかかわらず、司馬さんは精力的に取材を進めてくれた。まず1月の取材では横須賀方面を中心に歩いている。司馬さんの取材は車での移動が多いが、「三浦半島記」は珍しくよく歩いた。
仕事始めの3日は横須賀の衣笠山(134メートル)に登り、5日はさらに高い大楠山(おおぐすやま)にも登っている。
<最高峰の大楠山にのぼってみた。ただし三浦半島でのことで、大楠山の標高は二四一・三メートルしかない。でありつつ、その山頂からの眺望は、日本国のどの名山よりもすぐれている、という>
この山からは東京もよく見える。
司馬さんはまず地形を頭に入れる人だった。
<東京湾をへだてて房総半島の山々が横たわり、一方、相模湾のむこうに伊豆がみえ、さらには箱根がみえ、その上に富士の高嶺(たかね)がうかんでいる>
関東が一望にできることになる。<半島の地形が、足もとにひろがっている>
そういえば、以前、司馬さんは友人で土木学者の宮村忠さん(関東学院大名誉教授)と半島について話し込んでいたことがあった。
2人はどちらからともなく言い始めたのである。