キャバレー「ハリウッド」チェーンを展開し、「キャバレー太郎」の異名をとった福富太郎さん(84)。満州行きを逃れ、生き延びた彼が戦後間近にあった市民の戦争史を明かした。
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戦争も終わりの頃になると、いろいろなデマが飛んでね。
学校に行ったらね、同級生の奴が言うには、焼け跡を歩いていたら赤ん坊の死骸があったと。その赤ん坊がピョコンと飛び起きて、「おじさん、ラッキョウ食べなさいよ」って、口をきいたんだとさ。丸焼けの赤ん坊がね。「なんで?」って訊いたら、「ラッキョウさえ食ってれば、僕みたいにならないよ」と言ってパタンと倒れ、覗き込んで見たら死んでいた。もとの死骸に戻っていたと。そういうデマというか、流言を真面目になって言う奴がいたんだよ。
それと、布団を干している家はスパイなんだと。これはちょっと一理ありそうなんだけど、布団の色でもって上空のB29に合図してるんだって。赤い色なら丸焼けだとか、青ならまだ助かっているとかね──僕は小説本に書くときに、間違いを書いちゃいけねえってんで、「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)に行って専門家に話を訊いたんだけど、そういったデマの類は残ってないんだね──。
昭和20(1945)年の3月10日に、東京は大空襲でやられたでしょ。この日は日露戦争の奉天会戦勝利にあやかった陸軍記念日だった。すると、この次は日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅した5月末だろうという噂が広まった。そしたら本当に5月24日にまた東京がやられたんだ。3月の記念日も5月の海戦も、センターにはそんな話は残ってないんだなあ。僕ら庶民の間ではけっこう知られた話だったんだけどねえ──。
※週刊朝日 2015年12月11日号より抜粋