今年6月に、寛仁親王三年式年祭に向かう三笠宮ご夫婦(代表撮影) (c)朝日新聞社 @@写禁
今年6月に、寛仁親王三年式年祭に向かう三笠宮ご夫婦(代表撮影) (c)朝日新聞社 @@写禁
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 三笠宮崇仁(たかひと)さまの体を優しく支えるように、孫の彬子(あきこ)さま(33)がそっと手を添える。百合子妃殿下(92)は、おふたりの様子を優しいまなざしで見守っている。三笠宮さまが、ケーキに立てたロウソクの火をふぅーと消すと、拍手が広がった。

 10月27日、東京都三鷹市にある中近東文化センターであった会合のひとコマだ。12月2日に100歳を迎える三笠宮さまのお祝いも兼ねる。ご本人が続けてきた、古代オリエント史研究の業績を示す、写真や記録ノートなど150点余りの展示がこの日から始まった。

「大げさにしたくない」という三笠宮さまの意向で、集いは非公開で、ご夫妻と彬子さま、センターの関係者ら十数人で、こぢんまりとしたお祝いの席だった。

 明治以降の皇族最長寿となる三笠宮さまは、昭和天皇の末弟として、1915年に生まれた。戦争中、陸軍参謀として南京に派遣された。お印の若杉から、「若杉参謀」の名を用いた。

 戦後の著書などで日本の軍部批判を強くしていたことから、「赤い宮さま」と呼ばれた時期もあった。

 戦後は一転、古代オリエント史の研究に打ち込んだ。中近東文化センターは、三笠宮さまの発意で、財界人の出光佐三氏が中心となり創設。三笠宮さまは2012年に心臓手術を受けるまで、週に3日ほど通い、研究に励んだ。

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