京都市の三十三間堂の由来を下敷きにした「三十三間堂棟由来(むなぎのゆらい)」。次世代を担う文楽太夫の一人、豊竹咲甫大夫さんがその魅力を紹介する。
* * *
私が頭痛持ちであることは文楽界では有名でして、頭痛がひどい日は稽古をやめようかと気遣われるほど(笑)。対策の一つとして、二十代の頃から財布にはいつも三十三間堂の頭痛除(よけ)の御札を入れています。
三十三間堂といえば、六十メートル先の的を射ぬく通し矢で知られます。ですが、元来は頭痛平癒を祈願して建てられた仏堂。最重要行事である楊枝(やなぎ)のお加持も、観音様に祈願したお水を参拝者の頭に振りかけて諸病を除く儀式で、特に頭痛に効くと言われています。
十二月に東京で上演する三十三間堂棟由来は、そんな三十三間堂と頭痛にまつわる物語です。
平太郎とお柳が夫婦になって五年。二人の間にはみどり丸という子どもも生まれ、紀州の熊野で幸せな生活を送っていました。
ところがある日、都にいる白河法皇に夢のお告げがあります。それは、法皇の持病である片頭痛を治すには熊野にある柳の木を棟木にして三十三間堂を建てよ、というものでした。噂を伝え聞いたお柳は愕然とします。なぜなら、お柳は人間ではなく、その柳の木の精。柳の木が切られると自分も死んでしまうのでした。
まもなくして柳の木は切られます。お柳は身もだえながら、平太郎に自分の正体を明かします。そして、平太郎の前世は梛(なぎ)の木で、前世でも梛の木と柳の木は互いの枝を絡ませ合う夫婦だったこと、しかし蓮華王坊(れんげおうぼう)という修験者に枝を切られ、梛の木だけが人間に生まれ変わったため、平太郎と再び結ばれるべく女性に姿を変えていたことを伝えました。お柳は姿を消し、大木は都へと運ばれていきました。