8月14日に「戦後70年談話」を発表した安倍晋三首相。作家の室井佑月氏は、どうも腑に落ちないという。

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 8月5日付の朝日新聞「戦後70年『あの戦争』とは」という記事に、東大教授で歴史研究家の加藤陽子さんのインタビューが載っていた。

 冒頭で記者は、

「あの戦争とは何だったのかを考えるとき、加藤さんが注目するポイントはどこですか」

 そう質問している。それについて加藤さんは、

「戦後50年にあたって出された村山談話を読み返すとき、私が最も興味深く感じるのは主語の問題です。談話は『わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ……』と述べています。『国が』国民を存亡の危機に陥れたと語らなければならない戦争とは一体、何でしょう」

 と答えていた。

 あたしはこれを読んで、ちょっとだけ胸のモヤモヤがすっきりしたのだ。

 この国の戦争について、この国の代表が語る。他国の人々に対し、我が国としてお詫びや反省を述べるのは当然だ。が、この国の戦争について、この国の国民だって、被害者であった。戦争に巻き込む力がある側と、戦争に巻き込まれてしまう側と、いっしょくたに「我が国は」「私たちは」とされるのは、腑に落ちない。

 世界の中の日本と考えれば、国民は身内みたいなものだし、他国への配慮のほうが大切だ。だから、国民に対し反省の弁が足りないとか、そんなことをいいたいんじゃない。

 
 この国の代表ならば、この国の平和をいかに維持していくかを語ることこそ、国民への平和の誓いになるのだと思う。安倍談話も、その翌日の全国戦没者追悼式の式辞も、安倍さんにはそこの部分をきちんと語ってほしかった。まして、安倍さんの自慢の祖父は、戦時中閣僚だった岸信介さんなのだし。

 今、多くの国民は、安倍さんの掲げる「積極的平和主義」に懐疑的だ。地球の裏側まで自衛隊を派遣する集団的自衛権の行使や、人を殺すための武器の輸出が、なぜ平和につながるの? それらのことを具体的に説明するには、いい機会ではなかったか?

 安倍さんは談話の中で、

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」

 という(主語はなし)。その一方で、

「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。―中略―その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ……」

 ともいう。我が国として、戦争は絶対駄目と思うなら、たとえばこれから先、同盟国が誤った道に進みそうなら、堂々とそれに反対する意向なのか。それとも、同盟国にハブられちゃ不味(まず)いから、なにがなんでも協調路線を歩むのか。

 そんな基本ラインもわからない談話に意味あるの?つーか、挑戦者は戦争するんだ? ゲーマーか?

週刊朝日 2015年9月4日号