ファー・クライ/エリック・ドルフィー
ファー・クライ/エリック・ドルフィー
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 その昔、わたしが気に入ってる歌手のことを口にすると、「コイツは下手くそだ。音程が悪い」とすぐに断定する友人がいた。

 気が弱く、音感に自信のないわたしは、そうかなあ、いいと思うんだけどなあと思いつつ、言い返せない自分が悔しかった。

 なにしろ、相手は断定して、言い切ってくるわけだけら、ろくに音楽教育を受けたわけでもないわたしには、それを覆す自信などあろうはずもない。

 同じようなことが、オーディオ店でもあった。

 いろんなアンプを聴き比べしていたときのこと。店員さんが、「ああ、このアンプはダメ。声がふらついてる」と、これまた断定。わたしは断定口調に弱い。弱すぎる。

 そうなのかな?そんなふうには聞こえないんだけどなあ?

 しかし、こうして曲がりなりにもジャズの店をやって、オーディオの経験もそれなりに積んでくると、逆に、まんざら間違いでもなかったのかなと思えてきた。

 ジャズは、「不安な音」が出ないとダメなのだ。「不安定な音」ではなく、「不安な音」。それにこそ肝がある。

 当たり前の音程を、外さず当たり前に発生するのは当たり前の行為で、そこに何の聴き所があるだろう。そんなのコンピューターでもできるではないか。わたしの父はカラオケで「君が代」を唄って、いつも100点を叩き出すが、決して唄がうまいと思わないぞ。

 そうではなくて、要所要所に、微妙な音程のゆらぎやテンポのずれなどを使って、豊かな感情を表現するのがジャズの醍醐味ではないか。

 思えば、この「不安な音」が出ないオーディオの、なんと多いことよ。「ジャズが鳴らない≒不安な音が出ない」と言ってもいい。

 太く、しっかりした音の出る装置はゴマンとあるのだが、か細かったり、儚かったり、無力感だったり、そういった感情を自在に表現できる装置はめったにない。

 ビリー・ホリディが、たんなる悪声にしか聞こえないとしたら、責めるべきはビリーではなく、やはり自分の装置のほうではなかろうか。

 ジャッキー・マクリーンのアルトが音痴に聞こえたりするのは、そのオーディオ装置がジャズに向いてないか、あなたがジャズに向いてないかのどちらかだ。

 エリック・ドルフィーの、どこに軸足があるのかわからないような浮遊感は、まさに「不安な音」そのものである。

 そんなにエラソーに書いて大丈夫かと自分でも不安になるが、当店のシステムは不安な音専用に調整されているので、まともな音は出ない。いつになったらまともな音が出るんだろうと不安な音を聴きながら、ふるえるような不安な毎日を送っているのだ。

【収録曲一覧】
1. Mrs. Parker Of K.C. (Bird's Mother)
2. Ode To Charlie Parker
3. Far
4. Miss Ann
5. Left Alone
6. Tenderly
7. It's Magic
8. Serene