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 いつの時代も人気を博すのはピュアな男女に訪れる悲劇のラブストーリーなのか。江戸時代後期、庶民の間で評判となった文楽作品を、次世代を担う文楽太夫の一人、豊竹咲甫大夫さんが紹介する。

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 最近、巷ではボタニカルブームが起きていますが、二百年ほど前の江戸時代後期も、庶民の間で園芸が盛んでした。特に、朝顔は手軽に品種改良ができ、観賞用の植物としてブームに。そんな人気と相まって評判となった文楽作品があります。生写(しょううつし)朝顔話です。

 長咄(ながばなし)の「蕣(あさがお)」からインスピレーションを得て、浄瑠璃作者の山田案山子(やまだのかかし)が人形浄瑠璃にした時代物です。初演は一八三二年。全体を通して描かれるのは、中国地方の大名・大内家のお家騒動。しかし、政治情勢に翻弄される男女の悲恋の方が興行的に良いと考えてか、サイドストーリーである宮城阿曾次郎と深雪の恋路を中心に物語は展開します。

 二人は京都・宇治の蛍狩りで出会って恋に落ち、深雪が差し出した扇に阿曾次郎が朝顔の歌をしたためました。しかし、互いに火急の用があり、再会を約束して別れます。その後、明石の浦で別々の船に乗っているときに偶然の再会を果たすも突風により離れ離れに。手に汗握るすれ違いを何度も繰り返します。

 最大のすれ違いは、東海道の宿場、嶋田(現・静岡県島田市)の宿で起こります。阿曾次郎が座敷の衝立に朝顔の歌をしるした扇が貼られているのを見つけ、宿の主人に扇の持ち主だった女性を部屋に呼んでもらいます。果たして、「朝顔」と名乗る瞽女(ごぜ・女性の盲目芸能者)は、やはり深雪でした。

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