今年は戦争終結から70年の節目を迎える。戦争を経験した元財務相の藤井裕久氏(83)は、戦中体験と復興の記憶をこう語る。
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忘れられない記憶があります。昭和19年8月から翌春まで、小学生だった私は東京・小平に学童疎開していました。ある日、米軍のB29が飛来し、日本の戦闘機と激しい撃ち合いになりました。戦闘機は最後にB29に体当たりし、ともに火を噴きながら墜落。
すぐさま友人と墜落現場に向かいました。米軍は食料を大量に持っていると聞いていたので、探すためです。とにかく毎日、空腹でしたから。ビスケットぐらいはあるんじゃないかと、期待しました。
でも現場には、米兵の無残な遺体が横たわっていました。8体ぐらいだったと思います。手や足、胴体がバラバラ。女性の通信士も乗っていたのか、赤いマニキュアの指もありました。惨状を目の当たりにして「戦争には勝者も敗者もない。国民に犠牲が出るんだ」と強く思いました。
疎開先から戻ったのが20年3月10日午前。ちょうど9時間前に、激しい空襲がありました。幸い母親が迎えに来てくれましたが、親が来られなかった友人も多かったです。自宅ちかくの湯島の坂には、たくさんの死体が横たわっていました。火傷を負いながらも何とか逃げ、そこで息絶えた人たち。悲惨な光景でした。
東京にはその後も激しい空襲があり、「今晩いよいよ死ぬんだな」と、防空壕の中でガタガタ震えていました。8月15日に終戦を伝える玉音放送を聞いたときは、「これで夜、眠れる」と正直ホッとしました。