猫の手で、和歌山の地方ローカル線を救った「たま駅長」が天国へと旅立った。民間会社・和歌山電鉄の「駅長」として勤続8年。16歳2カ月と人間でいえば80歳近い大往生だった。
三毛種、雌猫のたまは1999年に和歌山県貴志川(きしがわ)町(当時)で誕生。貴志駅そばの店の飼い猫として猫小屋で飼われていた。
そのころ、南海電鉄は乗客減で赤字がかさむ貴志川線の経営から撤退。路面電車など公共交通を考えるNPO団体「RACDA」会長の岡将男さんによれば、「廃線の危機に瀕(ひん)したとき、地元住民の要望と自治体の支援もあり、新設の和歌山電鉄が路線の運営を引き継いだ」という。
同じころ役所から小屋が立ち退きを迫られた。飼い主から「なんとか駅に置いてやれないか」と相談された和歌山電鉄の小嶋光信社長。たまと面接して、温厚なたまのネコ柄にひかれて、「社員」に採用。駅に残ることになった。駅長の帽子を被り愛想よく駅長室で乗客に対応する勤務ぶりが評価され翌2007年、駅長に昇格。13年には社長代理へとスピード出世を遂げた。
たま人気の貢献もあり、南海時代の05年度には、約192万人だった乗客数は、昨年度は約227万人にまで伸びた。和歌山電鉄の山木慶子取締役がこう話す。
「台湾や香港などの観光ツアーに組み込まれているため、アジアからのお客さんが多い。皆さん、『パンダは国でも見られるが、猫の駅長は珍しい』と感想を漏らしていますね」
海外メディアからの取材も殺到し、フランス映画や英国のドキュメンタリー番組にも出演。今年6月には中東・カタールのアルジャジーラも撮影に訪れた。このときは、鼻炎のたまに代わって、部下ネコのニタマ駅長代理が出演した。前出の山木さんが振り返る。
「たまは、寝ることが大好きなので『乗務睡好(じょうむすいこう)』できるようにと、ニタマを補佐役で雇用しました。たまは上司らしく、ニタマに厳しく教育的指導をする姿が印象的でした」
たまは、名誉永久駅長となった。和歌山電鉄では初めてという社葬を28日に営んだ。
※週刊朝日 2015年7月10日号