人件費の安さから一時は各国メーカーの工場が建てられ集中した中国。しかし、いまや最低賃金が上昇し続け、中国でさえ、一部の製造業は東南アジアに進出と「産業の空洞化」が始まっている。そうした事情から「政冷経熱」と、かつて形容された日中関係は、経済交流にも陰りが見られる。GDPで世界2位と3位の“超大国”は、どんな関係を構築しようとしているのか。日中経済の最前線を追った。
中国も、日本やアメリカのような“普通の先進国”に近づいている。もはや爆発的な高度成長が望めないなかで国内に分厚い中間層を誕生させ、持続可能な成長(=新常態)を目指すというシナリオだ。
日本側からすると、昔のような「経熱」は無理かもしれないが「経温」を目指すことは十分に可能──経済の専門家たちはそう口をそろえるが、結局は「政冷」が足を引っ張ると懸念する中国経済の研究家もいる。
「例えば新日鉄は1977年、上海で宝山鋼鉄の設立に尽力した。当時の会長は経団連会長も務めた稲山嘉寛氏で、戦争を知る昭和の財界人は中国に対する贖罪意識もあり、大胆な投資に踏み切ってきた歴史がある。中国側も党幹部が来日して財界人と面談するなど交流を深めた。ところが最近、こうした行き来がなくなっている気がします」
1980年代から2000年にかけ、旧田中派の系譜を引き継ぐ竹下登元首相らの中国とのパイプは太かった。なかでも曽慶紅元国家副主席と、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参院議員会長、古賀誠元幹事長ら「親中派」とのルートは有名だ。