つらかった受験生活が終われば、花のキャンパスライフが始まる。東京大学教養学部卒で月読寺(鎌倉市)住職の小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ)さんは、大学時代をこう思い出す。
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大学時代の楽しい思い出は、駒場寮(東大駒場キャンパスに2001年まであった学生自治寮)の日々に集約されています。入試のとき、たまたまもらったパンフレットを見て、「面白そう!」と即決。大学側は違法としていたので電気が通っておらず、パンフレットには、「電気ドラムで自家発電しています」と。興奮し、入学前に入寮しました。入ってみたら、ガスまで止められ、定期的に近くのガソリンスタンドへ行っていました。
当時は数十人ほどの寮生がいて、24畳の部屋を2人でシェアしていました。私のルームメートは物理学専攻の学生で、「愛を波動方程式で表したい」が口癖。映画によく誘ってくれて、2人で延々と映画の話をしていました。嫌だったのは、彼がエッチな本を山のように積み、私のスペースへ崩れてくること(笑)。寮に残るために留年し、30歳で学部生という飄々とした味わい深い人、パンの耳しか食べない哲学者もいました。隣の部屋の数学基礎論の院生はすごい左翼なんですけど、木刀を振り回す、一見ゴリゴリの右翼。競争社会を否定し、「純粋数学でさえ権力や政治の影響を受ける」と説いていた。
ハードな反体制派もいたけど、私のようになんとなく入った人もいて、みんなでいつも議論していました。
一方で、大学時代は七転八倒した時期でもあります。心が荒れ、両親との諍いが絶えなかった。付き合った人が既婚者とわかり、その夫に付け回されたり、恋人がストーカーになって自殺未遂を起こしたこともあります。4年生のときに結婚しましたが、長くは続きませんでした。人を虐げると、自分に返ってきますから、とてもつらかったです。体調も優れず、「哲学は自分を助けてくれない」と思いました。そんなとき、住職をやっている父親に座禅瞑想の修行を勧められました。試しに1週間やってみたらすごくよかった。考えることを停止すると、いかに心が平穏になるかを感じました。瞑想をするようになったのはそれからです。
大学院で哲学者になる道も考えました。院試の願書を出しましたが、前日にやめました。院生を見ていると、「いい論文をたくさん出さなきゃいけない」というプレッシャーでしんどそうで私には向いてない。「考える」という行為から離れたかったのもあります。私は哲学をすることで自我が肥大し、疲弊してしまったんです。仏教へ進むほうが自分は幸せかもしれない、とぎりぎりで決断をしました。大学生にアドバイスをするなら、できるだけ偏った変な仲間と過ごし、遠慮なく議論をしてほしいです。SNSでは金輪際得られないような体験ができます。
※週刊朝日 2015年3月20日号