昨年秋、韓国外交部から日本の外務省に招請状が届いた。今年4月12日から17日にかけて、韓国の大邱市などで開催される国際会議「世界水フォーラム」に、皇太子さまに出席を求めたものだった。しかし、日韓関係に改善の兆しは見られず、平成皇室最大の課題ともいわれた「訪韓」は、幻に終わった。
安倍晋三首相の就任以来、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領との正式な首脳会談は実現していない。戦後70年、日韓国交正常化50年という節目の年だが、韓国側が慰安婦問題の前進を条件にしているなど、両政権の歴史認識が折り合うのは難しい。
「皇太子殿下の訪韓をきっかけにうまくいくことがあるかもしれないが、逆の目が出たときに怖い。リスクが高いのではないか」(政府関係者)
毎年開かれていた、日中韓の外相、首脳会談も日中・日韓関係の悪化でここ2年間ほど実現していない。
「日本の対韓世論も『もういい加減にしてくれ』と、厳しくなっている。慎重にやらざるを得ない」(同)
これまで、皇太子さまは同フォーラムへ4回参加している。あくまで学術的会議への出席であり、私的な旅行だ。公式訪問ではない。
天皇陛下の同級生であり元共同通信記者の橋本明氏はこう解説する。
「仮に、実現すれば学術的会議への参加ですから、より摩擦は少なかったでしょう。韓国側としては、皇太子さまにソウルにおいでくださいといった条件はつけておらず、無条件の招請だったと聞いています。しかし、皇太子さまへの招請状を指して、一部の政府関係者から『朴政権のペースに乗せられる』と警戒する声も上がったようです」
韓国側は、この6月に日本で国交正常化50年の祝賀コンサートを企画している。両陛下のお出ましを希望しており、そこが着地点で落ち着きそうだ。
平成に入り、両陛下は戦争の傷痕の残る国をひとつひとつたずねてきた。戦禍に倒れた兵士や現地の人たちの冥福を祈り、相手国との和解に努めてきた。
即位間もない1991年にはタイ、マレーシア、インドネシアを訪問。翌92年には、日中国交正常化20年の節目で、訪中を果たした。別の宮内庁関係者が言う。
「天皇訪中が実現したのは、宮沢喜一内閣のとき。宮沢首相は、その人柄がにじむような外交手腕で、訪問のための下地を丁寧に整え実現にこぎ着けたのです」
その後も捕虜・虐待問題を抱えた英国、オランダなどの訪問を果たしたが、旧植民地として反日感情が根強い韓国への訪問は実現せず、「画竜点睛を欠いた状態」にある。
韓国側も訪韓を熱心に要望してきた。
日韓国交正常化20年を迎えた85年。全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領(当時)は、皇太子だった天皇陛下の韓国訪問への働きかけを始めた。翌86年3月には日韓両政府が、皇太子ご夫妻が同年秋に訪韓する方向で調整していると発表した。実現に向けて奔走したのは、安倍首相の父である、安倍晋太郎外相だ。
「だが、韓国の世論は割れた。反体制派トップであった金大中(キム・デジュン)氏と金泳三(キム・ヨンサム)氏は、強い反対を表明し、新聞の社説でも反対論が掲げられた」(同)
皇室が自ら政治的な判断を下すことはできない。危機的な状況に立たされた。
美智子さまが子宮筋腫の手術で入院したのは、ちょうどそんな時期だった。結果的に韓国訪問は見送られた。このとき、美智子さまはご自身のせいで訪問がかなわなかったと、責任を強く感じられたという。
※週刊朝日 2015年2月27日号より抜粋