日本政府は事件の現地対策本部をヨルダンの首都アンマンに置いた。中東専門家の間からはなぜ、交渉で人質を解放した実績があるトルコに置かないのか、という疑問も出された。
ヨルダンという選択は安倍首相の中東歴訪とリンクしている。首相はカイロの演説で「ISIL(イスラム国)と闘う周辺各国に2億ドル支援する」とぶち上げた。「非軍事」だが、アラブ世界のメディアは一斉に「日本がイスラム国との戦争を支援」と報じた。演説にあえて「イスラム国と闘う」の文言を入れたことは、日本が米国率いる「有志連合」への支援を強調したものだ。それに対して、イスラム国が「日本は十字軍に参加した」と反発した。トルコかヨルダンか。
「有志連合」でトルコは消極的な参加にとどまり、ヨルダンは空爆を含む全面的な参加である。日本がヨルダンを選んだのは、有志連合を支援する立場を再び、明確にしたかったからではないか。しかし、日本にとって「敵国」として対応を余儀なくされる危うい選択でもあった。ヨルダンは目立たない小国だが、巧みなインテリジェンスと秘密警察で生き延びてきた国である。周囲をシリア、イラク、サウジアラビアというアラブの強国に囲まれ、イスラエルとも接する。地政学的に極めて困難な状況。さらに国民の6割以上はパレスチナ人で、1970年にはパレスチナ解放機構(PLO)を激しい内戦の末に追い出した。王家・ハーシム家を強力に支えるのは、軍や警察、治安部隊などの中核を担う遊牧民出身のアラブの部族だ。後藤さんの解放問題で浮上したイスラム国に捕らわれているヨルダン空軍のモアズ中尉はヨルダン中部のカラク県の有力部族カサスバ族の出身。叔父は元将軍で本人はF16パイロット、有数のエリートだ。父親はアブドラ国王と面会を許され、「解放に尽力する」という約束を得た、とされる。だが、人質交渉は長引き、カサスバ族が王宮前で中尉の解放や有志連合からの離脱を求める集会を開いた。有力部族の忠誠をつなぎとめることは王家の存続がかかる。
ヨルダンはイラク戦争後の混乱の中でイラクのスンニ派部族の部族長や政治指導者を受け入れてきた。いまイラクのスンニ派はイスラム国の一角を担う。一方でイラクのスンニ派自体がイスラム国をめぐって大きく分裂し、ヨルダンとの関係には愛憎相半ばする。
国内の部族も両刃だ。部族はイスラム過激派の温床でもある。部族の力が強い南部のマーン県ではこれまで繰り返し、体制批判のデモが起き、暴徒化し、治安部隊と衝突する事態になった。昨年6月にイスラム国が出現してからは、マーン県でイスラム国への支持が広がり、黒旗を掲げるデモが起こっているという報道も相次いでいる。
後藤さんの運命は、女性死刑囚と、ヨルダン人パイロットの運命と連動させられ、「対テロ戦争」のど真ん中に置かれた。それは日本政府がヨルダンを選んだ帰結であったが、後藤さんの救出はかなわぬものとなった。
(ジャーナリスト・川上泰徳)
※週刊朝日 2015年2月13日号