徳川家康の息子たちが興した尾張、紀伊、水戸の徳川御三家は江戸時代、宗家(将軍家)に次ぐ地位を持ち、幕府で権勢を誇った。宗家、御三家は戦後、絶えることなく今も続くが、家康没後400年という節目に、徳川宗家18代当主・徳川恒孝(つねなり)、尾張徳川家22代当主・徳川義崇(よしたか)、紀伊徳川家19代当主・徳川宜子(ことこ)、水戸徳川家15代当主・徳川斉正(なりまさ)という当主4人が集い、教科書に載らない“三つ葉葵の真実”を語りあった。

水戸:うちは、尾張様(尾張徳川家)から36年遅れて財団化して、10年後に博物館を建てました。13代の祖父・圀順(くにゆき)の代です。祖父は、大正時代にお金がなくなってきて、持っている品々を売る「売り立て」をしています。そのときに祖父は、今では国宝になっている曜変天目(ようへんてんもく)茶碗など、良いものからどんどん売っていった。父がなぜそんなことをするのか祖父に聞くと、「良いものは誰の手に渡っても大切にされるから心配ない。よその人が価値を理解できないものこそ守っていかないといけない」と言ったそうです。おかげで、一見わけのわからないものもたくさん残っています。家康公がはいていたふんどしなどまであります。

尾張:歴史的史料としての価値は十分ですけど、鑑賞の対象とするのは難しいと思います。

水戸:美術展には出せない。ふんどしを見てため息つく人はいないからね。だけど、神君(しんくん)・家康公が身につけたものは我々には全部、宝物ですから。20年ほど前には、国の重要文化財になっているんですよ。箱書きには、「東照神君公お召しの下帯」とある。で、その脇に朱筆で「お大切。放ってはならぬ」と書いてある。ふんどしだから、捨てたくなるわけです(笑)。うちには、家康公のふんどし、猿股などの下着と全部そろっています。

尾張:うちは家康公の浴衣(ゆかた)があります。

紀伊:私のところには、そのような名品はないですね。売り立てしたときの写真付きの目録を見て、ああこういうものがあったんだなと思うくらい。祖父の頼貞(よりさだ)は音楽と芸術が非常に好きで、ヨーロッパでいろいろなものを収集したようです。

宗家:頼貞様がお集めになったのは、ショパンやベートーベン直筆の譜面、パイプオルガン。ハイカラでしたね。今ではちょっと考えられないような良いものをヨーロッパで買って、日本へ持ち帰ってこられた。それはもう大変なコレクションがおありになった。そのコレクションは、戦争で焼けてしまったり、お売り立てになったりして、お家から出てしまわれた。でも、これ全部、紀州徳川家コレクションです、というのをどなたかのお宅で見たことがあります。

水戸:売り立てたものが戻ってくることもある。売り立て目録ごと持ってきて、買い取ってくれと言ってくる人はいました。

尾張:元家臣の方が買っていて代々持ち続けていたけど、子供や孫に渡したら売っぱらってしまいそうだから返したい、ということもあります。

宗家:伝来のものを守るか、売ってヨーロッパの良いものを手に入れるか。それぞれお家の文化によってちがいます。

(構成 本誌・横山 健)

週刊朝日  2015年1月16日号より抜粋