「私が不器用であったために、問題が大きくなり、心から反省しています」
高倉健を思わせる“不器用男”フレーズで敗戦の弁を述べた渡辺喜美氏(62)。隣では、不仲説が報道されながらも、二人三脚で選挙区を回ったまゆみ夫人がうつむいて涙を流していた。父である故・美智雄氏が、1963年に初当選してから築き上げてきた渡辺王国が崩れ落ちた瞬間だった。
不器用な男の迷走が表面化したのは今年4月。化粧品会社会長から8億円を借り入れていた問題で、みんなの党の代表を辞任。安倍政権との協力路線も反発を招き、党は空中分解した。さらに、落選翌日には渡辺氏の事務所を東京地検特捜部が家宅捜索していたことも報道された。
ただ、自民党内には渡辺氏を落とすことに消極的な声もあったという。その代表格が安倍晋三首相だ。ある自民党職員がこう言う。
「総理は盟友の喜美さんを落選させたくないのか、栃木3区に入るとは一切言わなかった」
渡辺氏は金融緩和推進派で、安倍首相と政策の考え方が近い。街頭演説でも、
「安倍さんが首相になって自民党は改革する政党に戻った」(渡辺氏)
と、戦う相手の自民党をベタ褒めしていたほどだ。
だが、苦しい時期の自民党を見捨てて離党したことから、党内では今でも「渡辺許すまじ」の声は大きい。
「栃木5区の茂木敏充選対委員長がやたら張り切って、3区の応援に入っていた。茂木と喜美は昔から犬猿の仲。『喜美を落選させる!』と息巻いていたよ」(前出の自民党職員)
一方、みんなの党のかつての同志である浅尾慶一郎氏(50)は余裕の当選を決めた。解党のドタバタは選挙戦に影響しなかった。長年、浅尾氏を応援してきた神奈川県議は、「こんなに反応がいいのは、小泉進次郎と浅尾ぐらい」と笑う。渡辺氏とは違い、有権者の支持は揺るがなかった。
※週刊朝日 2014年12月26日号