ノーベル賞を受賞した山中伸弥氏は稲盛和夫・京セラ名誉会長(82)との対談をまとめた著書『賢く生きるより 辛抱強いバカになれ』の中で、iPS細胞をめぐる「特許戦争」の秘話を以下のように明かしている
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山中:iPS細胞技術の基本特許については、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)つまり京都大学が主導権を握れている状態です。14年3月の時点ですが、欧米を中心に30の国・地域で京大が保有する基本特許が成立しています。これも、CiRAの知財管理室の専門家チームが頑張ってくれなければ不可能でした。
稲盛:京大という公的機関が基本特許をもったことで、多くの研究機関、関連企業は研究しやすくなったんですね。
山中:はい。京大が基本特許を押さえたことで、公的機関の研究者なら無償で、民間企業であっても、通常、最大でも数百万円という非常にリーズナブルなライセンス料で誰でもiPS細胞を作ることができるシステムができました。現在60の大学や企業にライセンスしています。ただし整備したといっても、アメリカなどまだまだチャレンジしてきますので、そこは戦いというか、安心はできません。
稲盛:実際に係争までいったことはあるんですか。
山中:開戦前夜までいったことはあります。簡単に言いますと、ヒトのiPS細胞は自分たちのほうが先に作っていたんや、とアメリカのベンチャー企業が主張しました。同社の特許の請求内容を見たら、京大が先に出願していた請求内容とほとんど違わない。もう完全に戦争するつもりできているわけですね。それで、こちらもこれは受けて立つより仕方ないと。10年12月には米国において発明日を争う係争に入る寸前の状況になったんです。
稲盛:どうしてそうなるんでしょうか。
山中:ひとつは、結果的にはヒトiPS細胞も、マウスiPS細胞と同じ方法で作れたからです。私たちが06年にネズミでiPS細胞を作れましたと論文を発表したことで、世界の研究者が一斉にヒトiPS細胞の樹立に向けて研究を始めて、ものすごい競争になりました。われわれもネズミと同じ方法でヒトiPS細胞を樹立することができて、06年末には、05年末に既に出願していた特許にヒトiPS細胞のデータを追加した国際特許を出願しています。
稲盛:つまり、山中さんが発表したマウスiPS細胞の作り方をまねすればヒトiPS細胞を作れてしまうということですね。
山中:そうです。それでも、ヒトのiPS細胞の樹立は私たちのほうが先だと平気で言ってくる。私たちのネズミの論文を見て作ったんでしょうと言いたくなるんですが、いやいやそれは別問題ですと。マウスはマウス、ヒトはヒトですからと。
稲盛:まさに仁義なき戦いですね。でもそれをよく収められましたね。
山中:もちろん知財管理室では係争に向けた準備を進めていましたが、実際には誰も得をしない。いったん係争が始まれば億単位の費用だけでなく、決着までに何年かかるかわからない。私はもちろん関係者も審理の場で証言に立つことになり、膨大な時間を拘束されることになります。相手もそれは同じなんです。
稲盛:おっしゃるとおりですね。
山中:それで、とにかく会って話しましょうと。京大に来てもらって、3日間ほど本当にサシで話し合いをして、なんとか妥協点を見いだしたんです。
稲盛:ウィン・ウィンの決着になったと。
山中:まあとりあえずは、そういう形にもっていけたということですね。でも他の企業がチャレンジしてくる可能性もありますから、油断はできないですね。
(本誌・小泉耕平)
※週刊朝日 2014年11月7日号より抜粋