タクティールの語源は、ラテン語の“触れる”。タクティールケアは、その言葉どおり、手や足や背中を優しく包み込むように触れることで、認知症の人の不安や周辺症状などを和らげる効果がある。脳下垂体から出るオキシトシンの分泌を促進するからだ。
スウェーデンで半世紀前に生まれた非言語コミュニケーション方法で、日本には2006年に導入された。
このケアに関する教育や認定資格などの事業は、日本スウェーデン福祉研究所が担っている。
「認知症もがんなどと同じように治癒の難しい疾患であるなら、初期の段階から患者さんとご家族を癒やすケアが大切です。タクティールケアは認知症緩和ケアのひとつとして、日本の医療施設や高齢者施設で徐々に広まっています。セミナーの受講者は約1万人、認定資格者は約2千人になりました」(同研究所代表取締役の中込敏寛さん)
現場でどのように活用されているか、実際に訪れてみた。まずは特別養護老人ホームの南陽園(東京都杉並区)。5階建ての建物に約240人の高齢者が入居するが、8割以上が認知症を患う。タクティールケアを施せるケアワーカーは11人いて、各フロアでケアを提供している。
自立歩行が難しい認知症の入居者が多いフロアで、98歳の女性が背中のケアを受けていた。昨年から週2回程度、手や背中のケアを受けているという。
「お背中触りますね」
ケアワーカーの榎本典雅さんが机に伏せた状態の女性に声をかけ、両手を肩にそっとあてる。その手を滑らせるように背中の中央に移し、ゆっくり右に回していく。いわゆる揉む、押すなどのマッサージと違い、手を当てるという感じだ。そのまま放射線状に動かしたり、腰から背中の輪郭を触れていく。
「ケアは約10分間で、その間は基本的にこちらから話しかけません。一度始めたら最後まで手を離してはいけない決まりがあるのですが、いつの間にか寝てしまう方もいます」(榎本さん)
98歳の女性も施術中はうとうとして、10分後に終了すると、「気持ちよかったわ」とほほ笑んだ。女性は7年前から入居しているという。同じことを繰り返し話したり落ち着かなくなったりするときもあるが、ケア後は上機嫌になるという。
「このケアは体温が上がったり血の巡りがよくなったりという反応がすぐに出ます。むくみもとれるので、きつかった指輪が楽になったという声も聞きます」
体が柔らかくなったり、会話がスムーズになったりする効果もある。同じフロアで働くケアワーカー熊倉直子さんが事例を話してくれた。
「99歳の女性ご利用者が今年はじめに脳梗塞になり入院しました。治療を終えて戻ってきたら、発語が少なくなっていました。もともと話し好きの方だったので、タクティールケアを始めたら、言葉を前のように出されるようになったんです」
認知症の人の中には、触られることを嫌がるケースもある。無理じいせず、時間をかけて関係を築くのも、ケアの大事な要素のようだ。
※週刊朝日 2014年10月31日号より抜粋