文筆家の北原みのり氏は、守りたがる男なんて信用できないという。

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 安倍首相は集団的自衛権の行使容認を閣議決定した時の会見で、わずか25分間で「守る」という言葉を24回も使っていた。国民の命を守る、日本を守る、米国の船を守る、暮らしを守る、外国を守る、平和主義を守る……。安倍さんは1分間に1回は何かを守りたがっていたのである。

 だいたい、「お前を守りたい」とかペラペラ言いたがる男ほど、中身がないし嘘をつくもの。そんなこと、たいていの女が経験済みだというのにね。

 それにしても「守る」って、なんて曖昧で、意味のない言葉なんだろう。米国の船を守ることと暮らしを守ること、その場合の「守る」は、同じなんだろうか? 曖昧な言葉遣いによって築かれていく現実は、「守る」なんて言葉では到底言い表せないものなのではないだろうか。

 第2次世界大戦中、「従軍慰安婦」は「一般婦女子」を「守る」ために作られたと、言われている。兵士が「一般女性」を強姦しないように、「一般女性」の貞操を守り、兵士の健康を守る、という“正義”によって、「守らなくてもいいとされた」女たちが、日本軍に利用された。

 
 守りたい対象を守るために、必ず「守られない」人たちがいる。そして誰を守るか、誰を守らないかを決めるのは、きっと“私たち”ではない。

 男たちがナルシスティックにうっとりとした口調で言いたがる「俺はお前を守る」が嘘くさいのは、彼等の頭の中にある映像が、あり得ないスピードで敵を倒したり、傷だらけになりつつも雄叫びを上げ闘うカッコイイ自分で、それに酔っているように聞こえるからかもしれない。現実味がない上に、守りたい人、守りたくない人を、分け、差別しているからだろう。

 ちなみに、私が「こいつは信頼できる」と感じられる「守ってくれるヒーロー」はアンパンマンだけ。自分の身を削り、顔を食べさせてくれるアンパンマン的ゆるさで「守る」と言える男しか信用しない。ちなみに、アンパンマンのマーチによれば、アンパンマンは「みんなの夢を守るため」に、飛んでいくそうです。誰のことも、傷つけないで。

週刊朝日  2014年7月25日号