昭和の名勝負、大山康晴十五世名人と升田幸三実力制第四代名人の9回に並ぶ、史上最多の顔合わせとなった今回の将棋名人戦。4期ぶりに森内俊之名人(43)を下し、挑戦者の羽生善治三冠(43)が名人に返り咲いた。七番勝負を一気の4連勝で決着をつけた、羽生三冠の戦いを振り返る。
今年の名人戦開幕局で森内は、早々に乱戦になりやすく、知識の深さよりも地力の高さが求められる相懸かり戦法を採用した。案の定、森内は序盤戦で9筋のバランスよりも金銀の活用を図る構想を打ち出し、前例のない局面を迎えた。相手が穏便に進めてくれば持久戦。積極的に動いてくれば急戦になる。
どちらを選んでもすぐに差がつくわけではないが、今回の七番勝負に対する羽生の姿勢を知ることができる。その背景には、名人戦での対羽生戦の相性のよさ、余裕もあったかもしれない。
決断の場面。羽生はさして時間を使わず、敢然と打って出る順を選んだ。まるで駒を並べる前から方針を定めていたかのように。
第2局も相懸かり。羽生は我が道を行くがごとく足早に銀を繰り出して局面を動かした。第3局では後手番ながら積極的に主導権を握りにいく急戦矢倉という作戦で立ち向かった。
第4局は羽生の動きを逆用して森内が優位に立ったものの、最後は時間の切迫がたたり逆転を許してしまった。
今回の対局を振り返ると、森内にばかりミスが重なったわけではなく、羽生にもいくつかのミスはあった。ただ互いにミスが出るような波立った展開で力を発揮したのは羽生のほうだった。
終局直後に森内は「いつも通りにやったのですが、うまくいかなかった」と話した。これまで名人戦3連覇という結果が出ていた戦い方をあえて変えていくのは、現実的には難しかった。羽生は過去の名人戦を省みて「9時間あっても判断がつかないことがある。そんななかで決断して、積極的に動けるときに動いていこう」と考えていたという。自分を信じて前に進む。その意識が結果につながった。
※週刊朝日 2014年6月6日号より抜粋