米国のオバマ大統領が4月23~25日に国賓として来日する。今から40年前の1974年11月、現職の米大統領として初めて来日したのは、ジェラルド・フォードだ。しかし、その訪日に際し、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)で機密文書NSSM210(国家安全保障研究メモランダム二百十号)を作成。ヘンリー・キッシンジャー国務長官が国務省、国防総省、中央情報局(CIA)などに対日政策の検討を指示したその文書には、日本の核武装に対する懸念も記してあった。ジャーナリスト・徳本栄一郎氏の調査によると、アメリカは昔から「日本独自の核武装」を警戒しているという。
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機密文書NSSM210が出る3年前、佐藤栄作内閣時代の1971年4月15日、キッシンジャーは対日政策検討を指示する同NSSM122を出していた。沖縄返還後の日米関係を睨み、対応を洗い出す内容だ。これを受けてNSCが作成した報告書に、「われわれはどのような日本を望むべきか」という項目がある。その中の提言で「核兵器保有は日本の安全保障に寄与しないと信じ込ませるべき」としていた。
さらにキッシンジャーは、佐藤内閣から田中内閣に移っていた1973年3月7日、再び対日政策を検討する機密文書NSSM172を発した。ここで彼はもっとストレートに「日本が核保有に動いた場合、米国の取るべき立場は何か」と問いかけた。
文面からは米国政府首脳の警戒心がひしひしと伝わる。同盟国であるはずの日本がまるで敵国のようだ。その背景には当時の日米の新たな緊張があった。
1971年7月、リチャード・ニクソン大統領は電撃的な中国訪問を発表した。キッシンジャーが密かに根回しした成果で、東西冷戦下、世界秩序を揺るがす大事件だった。文字通り、日本側には寝耳に水で「ニクソン・ショック」と呼ばれた。そのわずか1カ月後、今度はニクソンは金とドルの交換停止を含む新経済政策を発表した。これも戦後の国際経済体制を変える内容で「ドル・ショック」と形容された。
その結果、日本では米国への抜きがたい不信感が募っていった。それまで日米は安保条約など固い絆で結ばれていると信じてきた。だがニクソン訪中や経済政策で日本には一言の相談もなかった。そして頭越しに中国と手を結ぶ。これが極東最大の同盟国、世界第2位の経済大国に取る態度か。
われわれは舐められているのではないか。政治家、官僚の間に言いようのない不満が鬱積した。
それを最も明快な言葉で表現したのが、ある新進気鋭の若手国会議員だった。彼は日本外交の貧弱ぶりを嘆き、その解決策に核保有を訴えた。
「(核兵器が)なけりゃ、日本の外交はいよいよ貧弱なものになってね。発言権はなくなる」「だから、一発だけ持ってたっていい。日本人が何するかわからんという不安感があれば、世界は日本のいい分をきくと思いますよ」(1971年7月19日付、朝日新聞)
彼の名前は石原慎太郎、38歳、現在の日本維新の会共同代表である。
※週刊朝日 2014年4月25日号より抜粋