
「右足を出して左足出すと 歩ける!」
「両足のひざを一緒に曲げると 座れる!」
ラジオ体操調のゆったりしたピアノ曲に乗せ、いちいち声に出すまでもないあたりまえな歌詞が繰り返される「あたりまえ体操」。今年芸歴19年目の「COWCOW(カウカウ)」が考案したこのネタは、覚えやすく親しみやすいメロディーと動きで、子どもを中心に幅広い年齢層に一気に浸透。これ一発で旅行会社のCMにも起用され、知らぬ人はいない芸人に成長した。
「イベントの仕事などに行くと、どんだけ来んねんっていうくらい子どもが来ますね」(多田)
ボケ担当の多田健二が家電説明映像から思いついたアイデアを、ツッコミ担当の山田與志が体操にした。いわば「合作」だ。
関西でデビューして早々、同期6組でユニットを組みレギュラー番組を持った。
「東京駅にファンが二重三重になって待っていたこともありました」(多田)
だが、キャリアの浅さもあってか人気は長続きせず。関西時代は三つの新人賞を取るなど評価されていたが、2001年に「東京に劇場ができる」と誘われて上京してからは知名度が上がらなかった。漫才日本一決定戦「M-1グランプリ」(01~10年)でも決勝に進めず、M-1をステップに後輩が売れていくのを眺めるしかなかった。
「一番戻りたくない時期です」(多田)
結成10年以内という制約のあった「M-1」は03年を最後に出場できなくなり、目標を見失いかけた。模索が始まった。
「劇場ではウケてましたし、ブレークをあきらめられなかった。『いつ売れんねん』と先輩から言われてましたし」(山田)
テレビで成功するためには短時間でウケる手腕も必要だと、多田が得意としていた一発ギャグを軸にしてイベントを定期開催。ピン芸人日本一決定戦「R-1ぐらんぷり」にそれぞれ挑戦を続け、山田は4年連続で決勝進出も果たした。昨年まで携帯電話会社が毎月開催していたお笑いイベントにも、参加者が少しずつ減るなかずっと参加。そのために作ったネタの一つが「あたりまえ体操」だった。
「なんでも挑戦を続けてきたのが、今回のブレークにつながったのかなと思います」(多田)
※AERA 2012年12月3号