次男の逮捕、自身のセクハラ問題等から朝の報道番組を降板したみのもんた。本人の会見で一連の騒動も終結するかと思いきや……。心理学者の小倉千加子氏は、彼をこんなスポーツに例えて分析する。
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スカッシュというスポーツがある。高円宮憲仁殿下が競技中に亡くなったことで名前が知られるようになった。四方を壁に囲まれたコートの中で、2名の選手が互いに壁に向かってボールを打つ。非常に運動量の激しいインドアスポーツである。選手がネット越しに互いにボールを打つのではなく、両者が壁に向かって打つというところに面白さがある。
壁に打たれて返ってくるボールの跳ぶ距離と方向は、壁に向かった時のスピードと角度によって、ちょうどビリヤードのように計算可能である。相手は自分の打ったボールの落下点を幾何学的に計算して瞬時に移動しなければならない。そこが時間の余裕のあるビリヤードとは違うところである。
現在、みのもんたとメディアはスカッシュをしている。しかし、如何せん、みのもんたには幾何学的な計算をすることが飲み過ぎていてできない。ボールの落下地点に走って行くことも体力がなくてできない。仮にボールに到達できたとしても、そのボールをどの角度で壁に打つかを即座に判断することもできない。
どこに打てば、どんなボールが壁から戻ってくるかを想像することができなければ、スカッシュはできない。みのもんたは周囲の人間が動く壁になって、みのの打ちやすいようにボールを返していたことを知らなかったに違いない。
もちろん、みのもんたでなければスカッシュができるのかと言えば、そんなことはなくて、みな一様にある程度しかできないのである。スカッシュがプロとしてできるのは林真理子とマツコ・デラックスぐらいのものである。
まだ高橋佳代子さんと一緒に出ていた頃、みのもんたはスタジオに来た中高年の主婦の人たちにテレフォン・カードを配っていた。「はい、昔のお嬢さん」と、呼びながら。それが当のおばさんたちに受けていると思っているのを誰も修正しなかった。中高年女性に自分の年齢を嗤わせるスカッシュゲームができるのは、綾小路きみまろだけである。
みのもんたはセクハラを否定している。それは、自分と女性アナの間に「分離」が認められないからである。みのもんたの手の先に女性アナのお尻があり、そこに境界線はないと本気で思っているのである。
その証拠に、「朝ズバッ!」のスタジオでは3人のコメンテーターの後ろに女性が数名並ばされている。何も喋らず、何のために坐っているかもわからない無表情の女性たちである。女性に自我があると考える人間には思いつかない配置である。
「サンデー毎日」(11月17日号)に「みのもんた激白170分」というインタビュー記事があった。サンデーの牧太郎元編集長は、みのもんたの旧友であるからこそ、みのもんたが納得がいかないというメディアの反応についてわかりやすく説明し、やんわりとたしなめている。
牧氏が解説するのは、スカッシュにおけるボールの軌跡なのである。「みのさんがこう打ったから、壁からこう戻ってくる。それは物理学的にも当然のことなのですよ」
しかし、みのもんたは「けど」「でも」「じゃあ」と悉(ことごと)く反論するのである。
「分かるけど、そもそも一生懸命働いてお金を稼ぐっていけないことですか」
「でも、僕は事実を批判しても(中略)『お母さん、女優やめろ』とか絶対に言ってない」
高慢とか傲岸とかではない。みのもんたは人間とも壁ともスカッシュのできない人なのである。
※週刊朝日 2013年11月22日号