先日行われた堺市長選で惨敗した日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長。ジャーナリストの田原総一朗氏は、今回の敗北は石原慎太郎氏と組んだことで橋下氏の長所が消えつつあるのが原因だという。

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 9月29日に投開票が行われた堺市長選で、日本維新の会が推す西林克敏氏が、自民党、民主党、共産党などが推した“アンチ維新の会”の竹山修身氏に6万票近い大差で敗北した。新聞各紙が、この結果によって維新の会の橋下徹共同代表の影響力が確実に薄らぐと報じた。

 私は当初から、堺市長選は竹山氏が勝つと考えていた。堺は中世から栄えた伝統のある町であり、市民はそのことに誇りと自信を持っている。1978年のNHK大河ドラマ「黄金の日日」は、戦国時代の商業都市・堺を舞台にしたものだった。まさに黄金の歴史を持つ市民にとって、堺がなくなることは納得できなかったのであろう。

 とはいえ、私は橋下氏が堺市長選に挑んだこと自体は、間違いではないと思う。最近、メディアがどこも橋下氏に極めて批判的なのが気になっているが、私は、それでも彼に代わる者はいないと考えている。

 では、なぜ維新の会は敗れたのか。最大の理由は、大阪都構想がリアリティーにいま一つ欠けていたことだ。都構想に参加することで具体的に堺にどんなメリットがあるのか、堺がいかに良くなるかという点で、説得力が足りなかった。

 今回の結果が示しているように、このところ、橋下氏の掲げる構想のイメージが、どんどんつかみづらくなっている。

 橋下氏が政治家として注目され始めた当初、多くのハト派文化人は、彼を独裁者と決めつめた。この時期、私は何度も橋下氏と会ったが、印象はまったく違った。彼はアイデアこそ苛烈だが、親しみやすく、とことんまで人々と話し合う。コミュニケーションに極めて力を注ぐ人間であった。

 ところが、東京都の石原慎太郎都知事(当時)と知り合い、維新の会の代表に引き入れたことが、橋下氏のイメージを混乱させることになった。石原氏は物事を断言する。いわば、「力の人」である。それが、彼の売りでもある。

 橋下氏は当初、反原発論者で、大飯原発の再稼働に反対していた。さらに憲法についても、あくまで首相を国民が直接選ぶための憲法改正を目指していたはずだ。大阪都構想は地方分権を目指したものであり、中央集権の自民党に対する強烈なアンチテーゼだった。

 ところが石原氏と組むことで、橋下氏は変わってしまった。原発についてはまったく発言しなくなり、昨年の衆院選の公約では、自主憲法を制定するとまで言いだした。現行の平和憲法に真っ向から反対するものである。

 例えば、橋下氏の従軍慰安婦をめぐる発言を見ても、かつて日本だけでなく、英米など世界各国の軍隊にも慰安婦がいたことは歴史的事実である。橋下氏はそれを訴えたつもりだったのだろうが、彼の強い口調や態度が、まるで従軍慰安婦を正当化するように聞こえてしまった。そして、女性たちの強い反発を買ってしまったのである。

 かつて、彼はあくまでも、「コミュニケーションの人」だった。彼の基本は、人を理解しようと努めることであり、理解させようと努めることであったはずだ。ところが石原氏と組んだことで、彼の最大の長所であったこの部分が、どんどん見えなくなってきているのではないか。

 今度、もし彼に会う機会があれば、このことを忠告したいと思う。

週刊朝日 2013年10月18日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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