全員が自衛隊員という異色の球児たちが、全国の頂点に駆け上がった。神奈川県横浜修悠館高校(横浜市泉区)。日頃から鍛え上げた肉体、ちょっとやそっとでは動じない集中力、極限で状況を見て考える力が全国の舞台で発揮された。
甲子園の熱戦が終わった8月下旬、兵庫県明石市などで「もう一つの甲子園」が行われる。全国高校軟式野球選手権大会。初出場した同校の球児たちは実は、陸上自衛隊の教育機関、高等工科学校(神奈川県横須賀市)の生徒たちだ。高校卒業資格を得るために、通信制の横浜修悠館にも籍を置いている。普段はどんな生活を送っているのだろうか。
午前6時、高等工科学校の敷地内に鳴り響く「起床ラッパ」の放送から一日が始まる。上半身裸のまま中庭に集合。朝食前に全員が5キロほどのランニングと腹筋、背筋運動をこなし、その後に授業。一般の高校生と同じ科目のほかに、「防衛教養」「戦闘訓練」といった科目もある。
全国から自衛官を志す男子が集まり、寮生活を送る。自衛隊員の身分を持ち、国から手当を受ける。卒業後は大半がそのまま自衛官の道へ。たとえば、北九州市出身で航空自衛官を父に持つエースの鮫島孝太君(3年)は「いずれは災害派遣など人のために尽くしたい」と夢を描く。
横浜修悠館の前身の湘南高校通信制時代も含めると、軟式野球部のOBにはイラク戦争でサマワに派遣された者、福島第一原発事故で放水したヘリに乗った者もいる。丸山正明監督は活躍する先輩たちの話を引き合いに出して、「自分で考え、人生を切り開け」と教えてきた。
野球の練習は、授業後の午後4時から夕食前までの2時間弱と短い。自由時間は1日にわずか50分のみ。この時間しか携帯電話を使えない不自由な生活。4番打者の松浦翔也君(3年)は「共学はうらやましいし、友達ともっと連絡を取り合いたい」。しかし、その時間を惜しんで素振りなど自主練習に励んできた。
自主性は試合で生きた。神奈川大会決勝では、ピンチで内野が円陣を組んだ際、指示を出そうと立ち上がった監督に向かって「座って見てて」と「逆指令」。全国大会でも、投手を代えようとした監督に捕手が「続投させて経験を積ませましょう」と進言した。
神奈川大会直前の7月、3年生全員が野営訓練を乗り越えた。陸自の東富士演習場で9日間続いた訓練では、重い機材を担いで25キロも歩き、重さ4キロほどの銃を担いで戦闘のシミュレーションをした。「あの訓練に耐えられたから、ちょっとやそっとのピンチでは動じない」と松浦君。
自衛隊員らしいのは、体力や精神力だけではない。
「事前に偵察し、状況把握に努めるべきだ」との高等工科学校長の方針で、他校よりも早く、全国大会の開会式の3日前から兵庫県入り。気候や、ホテル暮らしの環境に慣れた。松浦君は強さの秘密をもう一つ明かした。「自分たちが目指している自衛官が、判断を誤ると部下を危険にさらしてしまう。だからこそ一つひとつのプレーに根拠を持ってやっているんです」
※週刊朝日 2013年9月20日号