福島第一原発の事故当時の所長だった吉田昌郎氏が食道がんで亡くなった。58歳だった。未曾有の大事故の裏側で指揮をとった吉田元所長の死を周囲の人は悼み、悲しんでいる。

 吉田元所長に仕えた東京電力の関係者はこう話す。

「海水注入問題で吉田元所長は、『あそこで止めたら終わりだろう。本店だ首相だと言っている場合かよ』と漏らしていました。菅元首相が来たときは、吉田元所長が強い決意をもって話し合ったことで信頼を得ることができた。吉田元所長だから政治の介入にも持ちこたえ、現場も頑張れた」

 吉田元所長と同様、福島第一原発の所長を経験し、東京工業大大学院の先輩でもある二見恒夫氏は、「彼が所長になるとき、『火災と外部電源喪失は所長として遭遇したくない』と話したことがある。それが現実となった中、対処できるのは彼しかいなかった。最善の人がいてくれた」と偲ぶ。

 ベテランの原発作業員はこう話す。「防具服の後ろに『吉田』と書いてある姿を見るだけで安心でき、この人のためにもやるぞという気になった。がんで退任と聞いたときには涙する作業員でいっぱいでしたよ」。

 吉田元所長が食道がんのため入院したのが11年11月24日。同年12月1日付で所長を退き、療養生活に入った。ステージ3という進行した深刻な病状だったが、抗がん剤治療を始め、手術もした。

「食道がんの手術が終われば『現場復帰するぞ』と話していました。『自分の手で元の福島にしたい』とも。こちらが『治療がすんでから』となだめるほどでした」(前出の東京電力関係者)

 だが、闘病中の12年7月に脳出血で緊急手術を受けた。ついに現場復帰はかなわず、帰らぬ人となった。

 食道がんの手術後、吉田元所長が二見氏に送ったメールには、〈一度は事故で死にかけた身で、余録のような人生。世間や後世に伝えたいこともあるので、もう少し頑張ります〉 と書かれていたという。吉田元所長には、もっともっと、明らかにしてほしいことがたくさんあった。

 東京電力は、食道がんは原発事故による被ばくの影響はないとしているが、二見氏はこう漏らす。「直接放射線の影響ではないと思うが、事故後、大変なストレスの中、十分な栄養や睡眠がとれず、命を縮めたのだろう」。

 まさに「戦死」だった。

週刊朝日  2013年7月26日