もじゃもじゃのアフロヘアでのテレビ出演や、赤裸々に思いのたけをつづった朝日新聞のコラムで話題を呼んだアフロ記者こと稲垣えみ子さん。稲垣さんにとって「書く」こととはどういうことなのか? 最新刊『アフロ記者』(朝日文庫)でつづった思いを紹介する。池上彰氏から「本音をあけすけに書ける面白い記者がいるなぁ」「表現が下品ですね。とても朝日の記者だったとは思えません。これが魅力なのです」と評された稲垣さんの原稿の魅力とは?
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全くなぜ、この「書く」ということにこだわっているのだろう。
いやね、ほんといっそやめたいんです。私という人間にはきっと書くこと以外にもできることがたくさんあるはずなんです。
いやまあそう大したことはできないだろうが、いま日本は空前の人手不足でして、農業やら、飲食店やら、酒造りやらを営んでいる友人たちはいつも「いい人いない?」と言っている。
私ごときであっても少しはお役に立てることがあるのではないか。それに、そもそも超ミニマムな暮らしをしているのだから、田舎などで自給自足をやる手もあるではないか。
だがしかし。ふと想像してみる。
例えば農業を手伝うとしよう。
あるいは自給自足をするとしよう。なんでもいい。
何れにしても、しんどいこともたくさんあろうが、一方で面白いことや楽しいこともたくさんあるだろう。
それが人生というものである。全くどうやったって人生は面白く出来ているのである。
でも。
私はきっとそれだけでは物足りないのだ。
そんなあたふたと日々を乗り切っている自分のことを、どこかで「書きたく」なるに決まっているのである。
本を出すとか、雑誌に書くとかじゃなくたってなんだっていいのだ。フェイスブックでも、あるいは手紙でもいい。
でもとにかく、体験だけでは満足できないのである。
そう改めて考えると、書くってすごいことである。
辛いことやどうしようもない行き詰まりも、書くとなれば格好のネタである。