そしてもちろん面白いことが起きれば、自分の胸にしまっておくなんて勿体なさすぎる。
誰かに「ねえねえ」と聞いてほしい。笑ってほしい。
つまりは書くことによって、苦しみは半分に、喜びは倍になるのだ。
いやこのセリフ、どこかで聞いたな……そうだ結婚式?
つまりは書くということは、人生に結婚ばりの効力を発揮するのである。
書くことによって、自分で自分の人生を支えることができる。そして人とつながることができる。
自分の存在を誰かに認めてもらうことができる。
そう思うと、この厳しい時代に誰もがSNSで発信しまくっている理由がわかる気がします。
みんな孤独なのだ。
生きていく勇気がほしいのだ。
私もその中の一人なのである。
今ってきっと、そういう一人一人の発信が「民主主義」を良くも悪くも支えていく時代なのかもしれませんね。
その中でのマスコミの役割って、私が思うに「クラウドファンディング」みたいなものなんじゃないか。
私が月々新聞代を払っているのは、毎朝やってくる新聞の対価というよりも、記者の方々にこのお金を使って、私が行けないところに行って、私が会えない人に会って、見るべきものを見て聞くべきものを聞いて、我々が知らなきゃいけないことを、たとえそれが誰かに耳の痛いことであっても、政権の怒りを買うことであっても、ちゃんと伝えて欲しいのである。そのための先行投資なのだ。
そうこれからは、大きな権威や権力が上から何かを押し付けるのではなくて、誰もが緩やかにつながって、やるべきことをやり、言うべきことを言い、何かを形作っていく時代なのかもしれない。
そんな中で私も、自分に書けることを、あんまり苦しくならない範囲で書いていけたらいいんですけどね。
でも絶対苦しくなるんだろうな。
それでも書いていくんだろうな。
苦しいだけが人生だ。
それを良い人生というのだきっと。