「声優としてのテクニックはもちろん、仕事の専門用語も何ひとつ知らず、マイクワークもわからない。そんな状態で他のキャストの皆さんの足を引っ張るわけにはいかないから、とにかく必死でした。これがもし20歳ぐらいだったら『初めてなんだよね、頑張って』で済む話かもしれないですけど、すでに僕は30歳だった。ヒロイン役の花澤香菜ちゃんなんて制服で現場へ来ていましたからね。若いからといって甘やかされてはいませんでしたが、どう見ても“新人だから”にふさわしいのは彼女のほう。とてもじゃないけど、彼女と同じスタートラインだなんて安心できなかったんです」

 未知の世界へ飛び込み、つかんだ主役。そこで浅沼はアニメファンからの手痛い「洗礼」を受ける。

「視聴者にコテンパンに叩かれましたね(笑)。僕がデビューした10数年前は他の畑から入ってくる者に対して、作る側も観る側も排他的とまでは言わないですけど、拒絶反応を示す傾向があったんです。誰だよこいつら、ヘタクソ、どこの馬の骨かわからない奴なんかにやらせないで、ちゃんと声優にやらせろよ、って。まあ、ホントに下手だったんでぐうの音も出ないんですけど(笑)」

 だからこそ、のちに声優が職業になるとは考えもしなかったと話す。

「正直言うと、声優としての活動はこの作品だけだろうと思っていました。たまたまオーディションに受かっただけで、いい思い出だったで終わるんだろうな、と。本当につらかったんです、この世界。つらかったからこそ必死でやって、つらかったからこそ一切、手を抜きたくなかった。辞めさせてくださいとマネージャーに何度言ったかわからないですし、実際、数ヶ月に1回は辞めたいと思ってました」

■後輩たちへの思い

 その意識が変わり始めたのはデビューから10年が経ち、40歳になったぐらいのころからだ。

「声優って5年までは新人と言われるんです。仕事量にもよりますけど、始めて10年から15年ぐらいまでが中堅。声優を10年以上やってきて、その間、若い子たちがどんどん入ってきて、こんな僕にも後輩ができた。今でも声優としての自信は全然ないけれど、さすがに最近は『いやいや、僕なんて』と言っていたら、後輩たちのためにならなそうだなと思うようになりました(笑)」

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後輩たちに指導すること