プライベートでの人付き合いに話を戻すと、昔から娘の学校の催しには、タイミングが合えば積極的に出ようという気持ちは持っていたかな。目立たないように、端のほうでじっとして。普段の子育てに参加できない、父親としての罪滅ぼしだ。それと、元来が巡業を回る職業だったし、年中誰かと一緒にいたからね。実際に近所にはプロレスラーという職業をよく思わない人もいたみたいだし。家族も余計な話を俺の耳に入れないように、「うちの天龍をよろしくお願いします」なんていうような近所付き合いはしていなかったからね。
そういえば、SWSに移るときにある新聞社が取材に来てさ。「写真を1枚」って頼まて、とっさに側にいた娘を肩車したんだよ。その写真が残っているんだけど、これを見るのが今もいちばんの気休めなんだよね。本当にいい思い出だから、この1枚は日本銀行の金庫行きだな(笑)。
最初の小川の話じゃないけれど、昔は、「俺が身を粉にして頑張っているんだから、お前も頑張って当然だろう」という感じで、レスラー仲間にも目線を下げて対話ができなかった。だから、団体を立ち上げた後は、極力相手の目線に合わせて話すことを心がけたな。人付き合いには会話が肝心だし、相手を安心させないと。目線を下げれば互いに気楽になれるし、その結果として友達も作りやすくなる。
今思うと、「話したいな」と思ったときに、同じ時代を生きた人たちが周りにたくさんいるということは、ありがたいことだよね。まあ、当時17かそこらのアンちゃんだったあいつが年齢を重ねているのを見て、「俺も年を取るわけだ」って実感させられたけど、自分の立ち位置を再確認できるのも、人付き合いがあってこそか。いや、待てよ……“老い”を直視させることが娘の目的なのかもしれないな。これからの誘いには気をつけなきゃ(笑)。
(構成/小山暁)