だから「香典は誰でも3000円」は出費を抑えるためでは毛頭なく、世間体を気にして、また、相手によって、金額の多寡に頭を悩ませることなんかバカバカしいと考えたからだったそうだ。

 香典は、本来は香奠と書く。「奠」とは、霊前にお香を手向けるかわりに金品をお供えするという意味で、大切なのは、あくまでも気持ち。金額の多寡は問わないとされている。また、葬式には多額のお金がかかる。そこで、かつては、まわりの者もお金を出して、喪家の負担を少しでも減らすことができれば、という意味合いもあった。したがって、無理して大枚を包む必要はなく、気持ちが込められていれば、それでいいと考えられていた。そんなルーツを思い出してみよう。

 長寿時代で、孫世代の結婚式に招かれることは珍しくない。その祝い金、ひ孫の誕生……と冠婚葬祭は老後も続く。その都度、「みなと同じ」にしようとすると、老後の薄くなった財布には厳しいと感じることも少なくないはずだ。「うちはうちなり」「私は私なり」のやり方があっていい。

 ある知り合いは、結婚祝いは若い頃の着物をほどいて小布にし、それらを新しく組み合わせてテーブルセンターなどにつくり直したものを贈ることに決めているという。昔から針仕事が大好きだった方で、85歳になった今も針目は驚くほどきれいに整っている。何よりも長い時間をかけてつくり上げた世界でただ一つのもの。込められた思いが違う。

 こうした例を参考に、まわりに振り回されず、自分なりのつきあいを続けていく方法を探ればいい。そうした姿勢は清々しく、周囲からもさわやかな共感を呼ぶはずだ。

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